水間観音ー貝塚市水間

この観音様のお名前も50年以上前から馴染みがあるが一度もお参りしないでいた。親友の好意で立ち寄ることができた。
聖武天皇の勅願により、厄難消除のために行基が建立。
龍谷山と号し、聖観世音菩薩が本尊、天台宗の寺院。僧行基が畿内建造の49寺院の一つとされ、厄除け、縁結びにご利益が有ると言われる。現在の本堂は文化2年(1811)岸和田藩主岡部公により建造。
立派な伽藍で庶民信仰の高さが頷けられる親しみ易さがあった。本堂の階段の両横の柱に寺の名前を記した立て札がある。、西圀四番に圀とあり、もう一つの看板に国とある。私は本堂の屯する寺僧に面会を求めて、その理由を質した。どなたもご存知なかつた。その事実事態すらもご存じなかった。不思議な感じを受けた。

厄除けの神様として信仰を集める水間寺は、蕎原川(そぶらがわ)と秬谷川(きびたにがわ)の合流地点にあることからこの寺号がつけられた。聖武天皇が病床で見た夢のお告げに従って使わされた行基の前に突然現れた16人の童子。彼ら導かれてここに来ると、手に観音像を持った老人が滝の中から現れ、像を行基に渡して龍になって天に昇ったという伝説が残る。天皇の病気は平癒。その観音像を祀るようにとの命を受けて、行基が744年に創建した。
当時は150余の宿坊があった、織田信長の兵火にあい、岸和田藩主岡部氏によって再建されたのが現在の堂塔。正月3日に行われる厄除け行事・千本づきは、本堂が落成したとき、村民や寺僧が餅をついて祝いあったのがはじまり。ひと臼10人づつで丸木棒をもって歌にあわせておもしろく餅をつく。境内の愛染堂にはお夏清十郎の墓があり、墓前の花立は、寄進者、林長二郎と田中絹代の名が刻まれている。かたわらの愛染橋は一名「縁結びの橋」と称されている