鳥取木鶏研究会 11月例会 

易経「下経」

(かい) (らい)上水下(じょうすいか) (らい)(すい)(かい)

ああだこうだと、我が侭言って、都合のよいことばかり主張し、いがみ合ってみたところで、どうにもならない。そういうことをやれば、結局解決することはできません。そこで解の卦の大象を見ますと、赦過宥(しゃかゆう)(ざい)―過ちを(ゆる)し罪を(ゆる)す、ということを説いております。 

過失した者は無罪放免し、又罪を犯した者には、できるだけ寛大に扱い、その罪を軽減して人心が伸び伸びとするよう一新することだと説いております。実に頭がさがります。易がここまで丁寧に教えておるのかと思いますと、始めて易を学ぶ人は吃驚したり、しみじみと反省させられたりするのであります。赦過宥(しゃかゆう)(ざい)、それで始めて悩みが解けるのであります。 

(そん) (さん)上澤下(じょうたくか) 山澤損(さんたくそん)

損の卦は次の益の卦とあわせて損益の卦と言い、上経の(たい)()の卦と(こう)一対(いっつい)の大切な卦であります。結局、人間は、人にばかり求めても仕方ない、己を修めなければいけないということであります。これが損であります。そこで損の卦の大象に、懲忿(ちょうふん)(よく)塞―忿(いか)りを()らし欲を(ふさ)ぐ、とあります。

つまり自分をおさえる、言いかえると克己(こっき)であります。自分、家庭、周囲をうまくやっていこうと思いますと、どうしても克己―己に()つということがなければなりません。その修業ができて始めて、人間は自由を得ることができるのであります。自己を抑損(よくそん)する。反省するという修業をしなければ自由は得られません。 

 風上(ふうじょう)雷下(らいか)  (ふう)(らい)(えき)

益というものは、損即ち克己的精神、克己的生活という過程を経て、始めて得る自由を言います。余り知られていない有名人の事実を御紹介申しあげますと、貝原益軒という人は、誰知らぬ者のない、徳川時代後期の、非常に世に感化を広く及ぼしたすぐれた人であります。

ところが、この貝原(かいばら)益軒(えっけん)先生を少し調べてみると、八十四才で亡くなっておりますが、死ぬ一年か二年前に始めて益軒を改め、殆どその最後まで損軒と言っておりました。勿論、これは易からとった名であります。つまり貝原益軒先生は、ずっと貝原損軒(そんけん)先生であった。六十にして化すということがありますが、本当に八十という声のかかった時に始めて益軒に改めた。これは殆ど人の知らない事実でありますが、成る程と感心させられ、さすがは益軒先生だと思います。 

若い時は中々道楽者でもありまして、京都の島原あたりでよく遊びましたので、従って()いも甘いもかみ分けた人であります。そこで益軒先生と色々書き遺されたものを、人生訓、処世訓、養生訓などで読みますと、実に至れり尽くせりでありますが、余程の苦労人でなければ書けない、言えないことを細かに書いております。

よく何も知らない人は、漢学者というものは、余り人情に通じない形式道徳のかたまりみたいに思うことが多い。従って、貝原益軒などは、こちこちの堅物と大抵思っておるのでありますが、(あに)はからんや、若い時は中々の道楽者で遊んだ人でありまして、これではいけないと自覚して中年から勉強を始め、忿(いか)りを()らして欲を(ふさ)ぐ生活をした人であります。

易は損の卦が先であります。自分であくまでも克己努力して、それから自由を得る。これが益であります。 

(くわい) 澤上(たくじょう)天下(てんか)  澤天夬(たくてんくわい)

注意を怠りますと、益すれば又そこに失敗、災も生じます。折角到達して得た自由に伴う失敗、そこで又一つの注意を与えておるのが夬の卦であります。

自由というものは無心でなければなりません。色んな引っかかりを持っておるといけません。どうかすると人格者、道徳家などには、よく神経のとげとげしい、小うるさい人がおるものですが、そういうものを自ら解脱するというか、忘れることを説いたのがこの卦であります。

大象に、(きょ)徳則忌(とくそつき)―徳に居て則ち忌む、とあります。忌という字は、随分後世易学者の間に議論があった字であります。色々研究考証の結果、忌という字は間違いで、和するという文字を誤り伝えたものだという結論に達しました。

徳に居て則ち和する。これは人間がくだらない欲望だとか、或いは警戒心だという窮屈なものを解脱して、こせこせしない、無心がよいのだということであります。 

(こう) 天上(てんじょう)風下(ふうか)  天風こう(てんぷうこう)

澤天(たくてん)(くわい)の卦初爻(しょこう)からずっと陽で上爻(じょうこう)だけが陰、つまり(いち)(いん)が上にとどまっておる卦であります。易は循環しますからその一陰が上から下へ回り、初爻(しょこう)が陰で上が全部陽の()陽一(よういち)(いん)の卦、これが天風?(てんぷうこう)の卦であります。これは地雷(ちらい)(ふく)の卦(さく)()であります。

一陰が新たに下に生じて進んでいく、陰気上昇する卦でありますから、例えば内閣を組織した、会社を設立した、その為に有能活発な同志を集めた、というのが陽爻であります。

そこへたまたま一人の変わったのがもぐり込んだ、というのが(こう)の卦であります。必ずしも変な者に限りませんが、常ならぬ人間、陽性でなく陰性の人間が入ってきたというのがこの卦であります。これは余程注意しませんと、折角の組織、行動がこれによって乱れる、と教えておる卦であります。