もしかしたら、もしかする

加藤紘一氏が政治資金規制法に触れた。やはりこの方はおかしい。私は昨年、本欄で加藤紘一氏を指導者として厳しく批判した。彼は矢張り外務省的体質で育った人物だ。親方日の丸で税金とかお金を何とも思わなくなっていた。これらの国家中枢官僚が明治以降三度も日本を滅ぼしている。堺屋太一氏の指摘のように日本の官僚政治の弊害、私にはその驕りが背景にあると思える。官僚中心は発展途上の段階には有効である。戦後の官僚は経済とか国益に対し合理性ある措置をとろうとしない。戦後の彼等は矢張り東大卒程度のままの人物で実社会の人間を知らないままわが国の政権中枢にいた。優柔不断な加藤が総理にならなくて日本はハッピーであった。

鈴木議員は同様な別の手法で政治資金を集めた。彼はキャリアーでないだけにお金集めが加藤より巧妙だ、お金を知っている。然し、法スレスレをやる。道義にもとることとなる。一方、辻元議員も同様な政治資金規制法で辞職した。彼等と比べてイジマシイが国会議員が法を破るとは断じて許し難い、金額の多寡の問題ではない。

加藤氏は自民党、辻元氏は社民党、これは所謂、
55年体制と言われる戦後の政治を形成した主流であった。この戦後政治の双龍の流れを汲む議員達の議員辞職をどお捉えるか。横浜市長選挙で無党派が勝利した。これらを見て今後の日本の政治を直感できるような気がする。
旧社会党の田辺書記長とか、大出国対委員長とか山口ヅル平とか社会党のハッタリの面々が予算委員会で大いに政権党の自民党を叩き委員会を止めたものだ。劇場座敷にいる左派的国民はヤンヤの喝采をする。彼等は中々の役者でもあった。そして、政権党の自民党は表では負けて実質を取る。裏では、多分、官房費から国会対策委員経由でお金を貰っていたのであろう。以前そのような記事を見た覚えがある。

こうして、戦後政治が動いてきたのであろう。それなりの効用もあり戦勝国米国向けの芝居も出来た。この間、日本国の健全保守、即ち、わが国のアイデンティティ、伝統とかは左派勢力に蝕まれてヅルヅルとその姿勢が後退し、遂に近年は国歌、国旗を無視する青少年を教導する教師たちを育ててしまった。
自民党の野中氏が、レベルは確かに低いテレビを批判して劇場政治と嘆いた。私は、これらの政治現象を見て、確かに大マスコミもテレビも低俗だが野中氏は勘違いしているのではと思う。この
55年体制の最後の尾を引いているのは与野党にいる彼等なのだ。気づいていないだけであろう。
今度こそ、本当に
55年体制はトドメを刺される方向に進むのではないか。日本は経済も悪くタイミングは極悪だが愈々混沌とした五里夢中の政治情勢の中に進むのではないか。
最大野党の民主党は左右の理念の異なる暗流があるので
55年の双龍がトドメをさされても大きいパワーとなるまい。求心力のあるパワーが存在しない。鳩山も管はもはや飽きられた役者だ。小沢氏は右往左往しすぎた。要するに人物がいない。

そうなると、矢張り、真性保守の伝統を守る石原慎太郎新党、そして対する左派ではないがやや左派的要素のある中国派の田中真紀子が対峙するようになるのかもしれない。これは米国派と中国派との様相を呈するかもしれない。
(近未来には私は米国と中国は必然的に衝突すると見ている。日本はあの共産主義でインチキの多い中国か、価値観が共通する米国か、との選択で苦労する。コミットするなら米国であろうが。法治国家の国とは程遠い共産国中国とは歴史的にコミットしてはならぬ。)
こうして、社民党は言うを待たないが自民党と民主党の崩壊する姿が見えてくる。加藤とか鈴木、辻元的手法が瓦解して古いタイプの陣笠連中の右往左往する様相が目に浮かぶ。ここで国民は、しっかりした判断基準、物差し、眼がねで彼等を選別しなくてはならぬ。その選別の眼がねとは、国益である。国益とは国民の生命、財産、安全である。
北朝鮮を擁護する発言をした辻元とか、ロシアに加担する鈴木的連中は日本の国益に反する。陣笠議員もその眼でみなくてはならぬ。利権を判断基準としたら国家の未来を間違える。私が感じているものでは中国は中々巧妙に日本の政治家とか外務省、マスメディアに入り込んでいる。米国は深く日本を研究している。又、日本の大マスメディアは中国では許さないであろう中国の意見を代弁するような中国人大学教授に自由に発言させ国民を誘導させてもいるのだ。本当におめでたい日本国である。それは、国民が怒らないからだ。