常軌を軌逸した無法国家・中国

   ―略奪・殺戮を文化とし、

恒を黒と言いくるめるその手口―

その三

自国民を殺し尽くす匪賊の悪行

シナ大陸で農民を苦しめるのは、飢饉に加えて、軍閥支配者の権力闘争による動乱や戦乱である。特に明治44年、1911年から昭和3年、1928年までの約20年の間に140の戦乱が勃発しており、そこに動員された兵力は、延べ1800万人と言われる。その大部分は匪賊の大集団であった。国民軍と名のつく正規軍が実は匪賊の集まりなのだ。匪賊は軍隊に入れば、「天下公認の略奪」が出来ると期待して軍人、兵隊になっていった。シナでは、賊と軍との区別がつかなくなっていた。

つまり飢饉が農村を荒廃させ、それが農民を匪賊に走らせ、匪賊が官軍に採用され、戦争がまた匪賊を必要としたのである。この悪循環から「兵士でない賊徒はなく、賊徒でない兵士はない」という混沌とした「兵匪の国」の無秩序が出現した。1930年になると、匪賊の総数が2000万人となり「略奪者の天下」となった。

支那事変に登場する満洲の軍閥、張作霖、張学良は有名である。

中華民国時代の支那は、ほぼ全土が匪賊に荒らされていた。匪賊の行動は、極めて残酷、野獣的で、都市を襲っては家を焼き尽くし、人を殺し尽くし、物を奪い尽くすので「殺光、焼光、奪光」の「三光作戦」という言葉が生まれた。中国は一口に「匪賊の国」と言ってよい。

中国の軍部は、故宮のある北京もそうだが、都市とは全て5メートルもの高い城郭で全市を囲っている。

中国で都市のことを「城市」というのは、このためだ。市民もそれぞれの家のぐるりを壁で守っている。

自己を外敵から守る防衛は、中国人の本能になっている。かいがい中国人華僑が集団でチャイナタウンを作るのも、中国特有の自衛本能の表れである。

本国の中国政府が守ってくれるなどは、全く考えていないからだ。

国家が北の外敵から国を守る為に建設した「万里の長城」は英語でグレート・ウオール「長大な壁」と言うように、壁で国を守ろうとする漢民族の執念の結実である。