妻木晩田遺跡むきばんだー鳥取県淀江町
国史跡の弥生遺跡の中では最大規模を誇る妻木晩田遺跡。大山山麓の見晴らしのいい丘陵地帯にある。眼下には弓ヶ浜半島が弧を描いて先端が島根半島と連なる。二千年前の祖先がここに暮らしていた。山陰の古代の先進性をロマンを込めて悠久の古代に想いを馳せながら、ゆっくり、楽しく、散策し遊歩した。そして、蕨ーワラビーを沢山採集した。

妻木晩田遺跡」は標高90〜150mの丘陵に位置しゴルフ場開発案件に伴って存在が発覚し平成7年3月から10年3月の3年をかけて発掘調査が行われた。調査の結果、日本最大級の弥生時代の集落跡や墳丘墓群がみつかり、全国的にに取り上げられ紆余曲折を経ながらも平成11年4月8日に遺跡の全面保存が決定。今回の調査から考えられる範囲だけでも156haの広さがあり、九州の吉野ヶ里遺跡の約1.3倍にあたる。
周辺地域の弥生時代の遺跡の規模やその内容と比べると、格段の差があり、当時、地域を統括するムラであったと考えられます。妻木晩田遺跡とその周辺にあるムラは、妻木晩田遺跡を中心としてクニを形づくっていたようです。
妻木晩田遺跡では、縄文時代から室町時代までの遺跡が見つかっているが、その中で特に注目されるのは、今から1900年〜1700年くらい前の弥生時代の大きな集落跡が見つかったことで、大きく7つの地区で構成され、それぞれの地区は異なる機能と役割を持っていた。異なる機能と役割を担った場所が集合してムラを形作っており、その規模の大きさから見て当時のクニの首都的存在だったと考えられている。