[U]なぜ関西なのか A
          −−−世界都市"関西"
 

世界に注目される国家的プロジェクト 

 関西二府四県(大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山、滋賀)の人口は二千万人。国民総生産は約48兆円。これは世界で第七位の國に相当するGNPである。経済大国"関西"なのだ。英国は第六位。関西はカナダより大きい経済力をもっている。韓国は九州程度だと記憶している。
これすなわち、県東部の隣に世界第七位の経済大国があることと同じです。東京はいくら巨大でも遠すぎる。この点は松江、米子より条件としては不悪であろう。民間経済の恩恵は関西の方が東部にとってはるかに高い。問題は時間距離である。私は長らく関西の商業都市で活動してきたためか何か経済活動マインドに物足りな さを覚えるが東部はどおやら江戸の精神風土に似ている処があるらしい。ご案内の 通り、江戸は城下町で武士の町。大阪は18世紀のころは人口約40万人。そのうち、武士は五百人程度の庶民の町で民間活力あふれる町であった。私は関西のバイタリティとビジネスマインドを学べと叫んでいるものです。なぜか。その関西はわが國はおろか今や世界的にも注目されていることはご存じだと思います。時代を先取りした大規模な国家的プロジェクトが数多く21世紀にむけて推進中です。例えば関西国際空港、京阪奈学園都市、明石大橋、大阪湾ベイエリア構想等々。このうち、ベイエリアへの投資は十億円以上のプロジェクトが百三件、事業費12兆円。これだけの大プロジェクトが密集している地域は現在、世界のどこにもないと言う。[世界都市関西]をめざして類を見ない試みがなされようとしている。関西地域全体で、事業費の固まったものが四百五十件、二十八兆五千億円ある。その波及効果は百兆円に達すると言う人もある。その主なプロジェクトを俯瞰してみよう。
                                             
 関西の主なプロジェクト概観−−日本のパイオニア関西

第一段階

その中心は何と言っても[ベイエリア]構想。そのイメージを描いてみる。
大阪湾にポッカリ浮かぶ24時間営業の"大国際空港"。明石海峡には世界最長 のつり橋"明石大橋"。その対岸の淡路島山頂にはフランスからの記念モニュメント。米国の自由の女神に代わる神殿風のモニュメントが高さ385米の威容を誇り、明石大橋を眼下に見下ろす。都市工学美からも素晴らしく、関西の、いや世界の大景観となるであろうと言われている。そして、大阪湾岸道路は淡路島から紀淡海峡(和歌山南)までリニアモーターカーが周遊する。さらには紀淡トンネルビジョンもあると聞く。内陸部はどおか。情報の発進源、学術都市"けいはんな"が京都、奈良、大阪の 県境地帯に完成しつつある。(JR福知山線も大阪市の地下を通ってリンクする)。
京都と奈良の千年をかかえる歴史的背景を踏まえて見ると、阪神はまさに[歴史の首都]と言える。これほどのメガロポリスは世界的にもまれと言われる。世界で最も注目を浴びているのは当然であろう。

 第二段階

夢ではないプロジェクトはさらに述べる。明石海峡から西の瀬戸内海です。今世紀中に瀬戸内に大橋が三つ完成すると四国とは一体化する。そうなると広島は一段と発展する。(しかし、その恩恵波及は前述のいわゆる"共同体"まででしょう。今のままでは県東部への影響は薄いと思われる。)このように、"多島海せとうち"は関西圏と一体化し世界的な大リゾート地帯に発展する。大阪から岡山、広島、そして四国沿岸に沿って鳴門大橋から淡路島を縦断し、再び明石大橋からベイエリアに入る周遊交通システムも考えられている と聞く。循環し周遊することが観光やら経済の発展に結びつく。鳥取は益々とり残されてくる。姫鳥線は当然ですが私が岡山−鳥取間に"超特急が必要だと主張するのはこのような背景があるからです。                    

夢の第三段階

第二国土軸、これはすでに新聞にも報道された。九州の長崎を起点として大分、四国の松山、徳島、そして和歌山から伊勢へ抜ける。海を越えて豊橋に至る高速 道です。すべて関西中心。素晴らしい近未来が関西に実現しようとしている。一段と経済的期待がふくらみ夢がつのる。経済は心理学だと思っている者ですが、そこには既に先陣争いが起きている。人々の心がうねっている。

県東部は士と農の混淆型                                    

 改めて"経済に県境はない"

今、文化の時代と言われている。梅原猛氏によると、文化とは「学術・芸術・技術」の三術であるという。私はこの三術の発信源として関西は国際的に浮上する必然性をハッキリと備えてきたと思う。
前述の「けいはんな学術都市」が学術の情報発信源。その情報の出入口が世界への窓口となる新関西国際空港(神戸沖にも空港計画がある)。その中間地帯は阪神を中心として産業文化に役立つ施設が開発されつつある。そして、リニアモ-ターカーが明石海峡から和歌山まで周遊・循環する。すなわち、人や物や情報が動き経済の更なる発展を誘発する。

近畿道州制"を唱える大阪府知事

これだけの活性化を進める上での問題点は、矢張り私が指摘している"経済に県 境はない"の通り行政機構のタテワリと言われている。わが國の経済は大発展したが明治以降、百年の行政地図では現実に十分な対応が出来なくなっている。岸大阪府知事は、既に"近畿圏構想"を打ち出している。道州議会制です。詳細は省略しますが、どおやらわが国は明治以来の行政地図を見直さなくては現実にそぐわなくなってきているのだと思われる。
このように関西の近未来は素晴らしい方向に進んでいる。勢い、民間企業は進むべき道を真剣に模索している。それゆえに、バイタリティさえあれば、あるいはベンチャー精神さえあればビジネスチャンスはいたるところにころがっていると言える。

起業家精神あふれる関西

ベンチャー精神と申しましたが起業マインドのことです。伝統的に関西はこれが強い。新しい産業を起こすのが得意なのです。鳥取人よ、もっと関西経済人を学べと言いたい。「お天気とアイディアは西から」の言葉通り、わが国では戦後、多くのニュービジネスが大阪圏から生まれている。
少し古い資料ですが(昭和50年代)、戦後30年の間にわが国ニュービジネス74件のうち、57件が大阪で誕生している。
主なものをピックアップします。家庭電化製品、スーパーマーケット、インスタント食品、ビジネスホテル、カラオケ、地下街、サウナ、有線放送、ワンマンバス、プレハブ住宅、サラ金・・・等々。大阪人のアイディアは中々のものです。関西で発生したアイディアが東京へ出て全国に広まってゆく傾向がハッキリしています。なぜ、そうなのか。これには歴史的背景と大いに関係があるので少し触れてみたい。−−その前に、関西とはもともと、鈴鹿、不破、愛発(あらも)の三関以西の諸国のことですが、現今では東京地方を関東と称するのに対し京阪神地方を関西という。近畿は畿内、すなわち京・大・滋・兵・奈・三重の二府五県。私はほぼ同義語で使用しています。


江戸と大阪のちがい

関西、特に大阪のアイディアは中々のもので歴史的背景があると申しましたが、江戸と大阪の違いをお話しすると理解が進むと思います。
 
江戸

まず、江戸は徳川家康がつくった。そこに住んだのは幕府の旗本武士、地方藩の江戸詰め武士及び家族と家来。要するに武士で成り立っている町。カネを儲けることを全く知らず、"カネを使うことしか知らない人"が中心の町。武士のメンツと建前の町。封建四民制、士農工商の士の町でした。家康は「商は詐なり」と言って商業を嫌った人と言われている。

大阪

一方、大阪は当時(1700年代)人口42万人のうち、武士は五百人くらいの庶民の町。庶民は工と商で生きている。名はいらない。実をとればよい。武士はカネは使うものと思っている存在。しかし、庶民にとってカネは命だから「カネは代物なり」として物と同じように大切にする。従って、江戸末期となると関西の大商人(企業家)は大名や武士に莫大なカネを貸すまでにいたる。庶民は才覚と知恵で他人より変わったことをドンドンやってゆかねば商売に負ける。生きていかれない。大阪はいわば自由経済そのもの、民間活力の町であった。そこには自由な雰囲気があり、自由な言葉がある。従って自由な発想を生む土壌が育っていたに違いない。関西は日本の自由主義経済発祥の地なのだ。多少、風俗、行儀は良くないが、これらが戦後の解放と共に一斉にニュービジネスのアイディアとして花開いたと言えないだろうか。
江戸と大阪の比較は中々に面白く、私も興味を抱き研究してきたが今回はこの程度にとどめたい。こういう土壌が経済の活性化には大切なんだと申したい。このような観点でとらえると県東部はどちらのタイプであろうか。私は士と農の混淆型と思っている。士と農は守ってさえおれば食えたのですね。(続く)