根来寺和歌山県那賀郡岩出町根来

この寺は、関西在住50年で一度もお参りしないでいたので心にかかっていた。親友の好意で訪ねることができた。覚ばん上人の創建、大治元年、1126年。
学問の寺の地位を築かれたのは、高野衆徒と不和を生じ高野山から根来に移した頼ゆ僧正である。
真言宗三大学山の一つであり、さすがは清楚で、質素で簡潔な風情と佇まいが随所に、また事務員の応対態度に見られ感心した。とても素晴らしい印象的な本山である。

一乗山大伝法院根来寺 新義真言宗 総本山 開山 興教大師覚鑁(かくばん)上人創建 大治元年(1126)

春には5000本の桜、夏は深緑、秋は紅葉、冬は雪景色と一年中楽しめるのですが、特に桜が有名。
興教大師覚上人が、大治元年(1126)平為里により岩手荘を寄進され、この地に神宮寺を建てたのが始まりとも、 大治5年(1130)が高野山に大傳法院密厳院を創建したのが始まりともいわれます。
真言宗三大学山の一つ、新義真言宗の根本道場として学問の寺、根来寺の地位を築いて全国から学問を志す多くの僧侶が集まりました。室町時代末期の最盛期には堂塔(坊舎) 二千七百寺領七十二万石と伝えられ、我が国でも屈指の大寺院でした。創建時から争いの絶えないお寺で、警護のための僧兵の勢力も強大となり、根来衆、根来鉄砲衆などとよばれる1万余を擁する一大僧兵集団を形成。織田信長、豊臣秀吉に抵抗し、天正十三年三月(1585)秀吉が攻め、その結果大師堂、大塔など大伝法院の一角などを残すのみで他は 焼失してしまいました。現在の建物のすべては江戸時代に徳川氏の援助を受けて復興したもの。焼け残った大塔・大師堂は国宝に指定されている。