スタバにて書き流し徳永の世界史 その93 5年223

人間性を麻痺させたマルクス主義は70年かかりソ連崩壊した、歴史的一大実験であろう!今回、再びロシヤスラブはプーチンにより、その回顧思想の今回のウクライナ実験は、最終的には歴史の経過を経てロシア破綻に直結するであろう人間性の本質は自由と民主だからだ。このマルクス主義と云う非人間的思想による世界での犠牲者は1億7千万人だと言われる。世界中に輸出して広めたマルクス主義、受け入れた国々ではソ連内と同様な事が起きたのだ!その犠牲者総数が17千万人である。

チャイナ、北朝鮮、ベトナム、カンボジア、東欧、アフリカ大陸、中南米などである。スタバにて書き流し

 

徳永の世界史 その94 5年224

常々私は共産主義はイデオロギーであり、イデオロギーでは人間は幸福になれぬ、まして二千年前の一神教は神を見たと自称する予言者の言葉を時代的進歩した現代には適応しない、人間とは間違える存在だと指摘している、古代ローマの平和と日本の平和は八百万の神樣、即ち自然崇拝だからだと。

ヨーロッパは一神教になったからの悲劇なのだ。16世紀から18世紀なかけて、白人キリスト教徒が、神の名において南北アメリカ大陸原住民のインディアン一億人と、

アフリカ大陸からの数千万人を奴隷として運び出し、半分以上を不良品として大西洋に捨てた、マルクス主義の残虐以上だ。マルクス主義も神樣なきイデオロギー宗教であろう! 番外篇

白人のインディアン蛮行

 奴隷貿易の実態

フェイスブック読者から蛮行の解説を求められたので説明する。

スタバにて書き流し徳永の世界史 その89 5年219

シナ、清国時代、1900年頃の話しをしたい。大衆が決起した、扶清滅洋、と称して民衆が蜂起したのだ。義和団の乱である。 各国の北京公使館を襲撃した。

この乱は、日本とロシア軍を主力として鎮圧されたが、ロシアはこの機に乗じて、鎮圧しても撤退せずに鉄道守備を口実に、満州に大軍を送ってきた。

そしてシナこと清国と密約を結び、ロ清密約、ロシアは満州を支配しようとしたのだ。ロシアは更に韓国とも密約を結んだ。朝鮮半島を懐柔しようとしたのだ。ロシア軍隊駐留権、軍事教官、経済顧問派遣などの権利を得た。ロシア韓国銀行も設立、遂に1900年には朝鮮海峡の馬山浦にロシア極東艦隊基地を造ろうとした!

これは日本にとり大危機である!放置できる事態ではない!!!朝鮮半島ロシア化をせんとした?

これが、日本に覚悟をさせる引火線となったのは当然だ。日本は自衛上、日英同盟を締結した。日本とロシアは戦争は避けられないこととなる。

平和、平和叫んでもウクライナのロシアが戦争止めないのと同様なことだ。

スタバにて書き流し徳永の世界史 その87 5年217

仙台藩の林子平、はやししへい、はロシアが南下するのを聞いて脅威を痛感、祖国愛から海国兵談を著して海防の急務を説いた。幕府も最上左内、近藤重蔵ら探検隊を派遣して北方調査をした。現今の日本と似ているが、去勢された現今日本人はたちあがらない。現代日本人は弱虫だ!この頃、間宮林蔵は沿海州を探検し間宮海峡を発見した。

ロシアの脅威に手をこまねいておらなかったのだ。深刻な危機から警戒を怠らなかった!

現今日本人は平和ボケ、国家防衛に真剣でない!

スタバにて書き流し徳永の世界史 その85 5年215

ロシアはシベリアに就いて言及する。それは無人の野を行く如しであった。18世紀初頭にはカムチャッカ半島を抑えロシアの版図は太平洋に達した。シナとはアヘン戦争に敗れたシナの弱みにつけこみ黒竜江以北を割譲させた。その後、シナは清国から沿海州を譲り受けた。このように版図を広げ、東方支配を意味するウラジオストークに不凍港の軍港を造ったのだ。これは朝鮮や日本への重大な脅威となったのだ。ロシアはベーリング海を渡りアラスカまで領有する勢いになったのだ。ここらから日本の初期反応か発生する。

スタバにて書き流し徳永の世界史 その82 5年212

アメリカの近くカリブ海域でもアメリカは干渉し度重なる軍事介入、バナマ、ドミニカ、ニカラガ、ハイチなどかくしてカリブ海はアメリカの裏庭、そしてバナマ保護領化は重大、バナマ運河を開通させ、太平洋と大西洋との重要流通路を確保、南米大陸の交通権、通商権から更に極東への覇権拡大の橋頭堡をものにした。

愈々日本への野望橋頭堡を得たと言える。

スタバにて書き流し 徳永の世界史 その835年213

ここらでロシアの南下、不凍港獲得戦略に関して見て行きたい ロシアは13世紀から15世紀の250年間はモンゴル帝国の支配下にいた。

続いてトルコのオスマン帝国に支配された。この東方からの侵略を抜けたロシアは、今度は西洋からの侵略に悩まされた。驚く無かれ、ポーランドやスウェーデンが次々と、モスクワ占領したのだ。何れの場合も冬将軍かロシアを救った。現在のウクライナ侵攻に冬を最大活用するのは本能的なものであろう。キプチャック汗国から独立したイワン三世は、ギリシャ正教即ち東方正教会の擁護者と認じ専制的君主者としてロシアの基礎を創り上げたのである。

スタバにて書き流し徳永の世界史 その84 5年214

ロシア、この獰猛なスレーブことスラブ民族、

イワン4世は、コサックの活躍もあり、領土にシベリアを得て絶対主義の基礎を固め皇帝、ツァーリを正式称号とした。次にロマノフ王朝、ロシア革命が起きるまで絶対主義の国家として発展した。ロシアの近代化はピョートル即ちピーター大帝から始まった。バルチック艦隊、黒海艦隊を創設し西欧化、近代化し周辺地域を侵略した。ロシアは寒冷な北極海以外は港がなく西欧に伍して国力増大には不凍港が絶対必要であった。ロシアの伝統的国家目標となった。