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徳永の世界史 
 その90
5年2月20日

ロシアの革命後の
新手法!
ロマノフ王朝が崩壊しソ連となった、世界侵略の手法を変えただけであった。
ソ連となったら国内各民族はバラバラとなると思いきや、マルクス主義で各民族を束ねたのだ。社会主義共和国連邦として束ねたのだ。
コミンテルンの
テーゼは恐怖の絶対であった。
イデオロギーの輸出もしたのだ!共産主義の世界頒布だ。
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徳永の世界史 
 その86
5年2月16日

ロシアの侵略欲
ウクライナに見る如くロシアは侵略欲が本能的であくどい。
前述のようにロシアの東方侵略の先端が日本の北辺に迫り遂にロシアの使節が日本の根室に来航し通商を求めた。続いて長崎にも来たが幕府は交渉に応じなかった。
この頃からロシア軍艦は蝦夷地に侵入して略奪、暴行、密かに測量し探検して、ゴローニン事件と、申すが、軍艦艦長を捕らえた。
ペリー来航後直ぐにロシアの使節プチャーチンは4隻の軍艦を率いて来日、長崎で、北方周辺の国境画定と通商を要求したが、幕府は川路聖謨等を派遣して交渉させたが要求を拒否した。
ロシア南下が切実な脅威となってきたのである。
近世500年では、イギリスとロシアの世界侵略による領土拡大の規模の広大さに比較するものは無かろう。イギリスは七つの海、ロシアはシベリアなど陸の道を通り大ロシア帝国を建設した。
ロシアの面積は日本の60倍、世界の六分の1を占める。
ロシアなど夜明けから日没まで太陽を見られた。
だが、このロシアも
日露戦争によりロマノフ王朝は衰退し続くレーニン革命で王朝は壊滅した。

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徳永の世界史 
 その88
5年2月18日

ロシアは念願の不凍港ウラジオストックを獲得、次なる目標は
満州と朝鮮であった。
その手始めに
日清戦争の賠償として日本が遼東半島を獲得すると、ロシアは三国干渉で、これを清国に返還させ直ちにロシアの軍事基地として奪取した。
三国とは
ロシア、ドイツ、フランスである。
やがて日本はドイツヒットラーと組み敗戦する。
現代はドイツはシナと友好である、ドイツには
各別に留意しないと国益に沿わない点が出てくるようだ。