スタバにて書き流し 徳永の世界史 近世五百年

幕末日本 その111 5年313

わが国が関ヶ原の戦いの頃、即ち徳川時代開創前の1600年に、イギリスは既に東インド会社を創設していアジア進出を始めていたのだ。

そして世界中で唯一、日本は長崎出島で国旗を旗めかすオランダ長崎出島館を襲撃し乱暴を働いた。為に幕府の長崎奉行は引責自殺している。

これをイギリス軍艦フェートン号事件と云う。幕府はイギリスの凶暴さを知り、フランス革命やナポレオン研究が盛んとなっている。

イギリスはアヘンをシナに売込み、巨利を得たがシナに拒否されたのでアヘン戦争を仕掛け1842年に香港を奪取したのだ。

イギリスは国家が、公然と麻薬貿易を許し力ずくでシナ人を堕落させようとしていた。

幕府は天保11年のアヘン戦争で強国を任じていた清国が簡単に大敗し幕府は驚嘆した。

次は日本がやられると幕府の志士たちは危機を痛感、長州藩の高杉晋作などは香港に渡りアヘン戦争の惨状を視察し国防意識を強調したのである。