スタバにて書き流し徳永の世界史 その96 5年2月26日

第一次世界大戦をどう位置づけるか考えた事ありますか。それは、私に言わせれば、 白人の植民地争奪戦の結果なんです。
沢山争奪していた先発のイギリス、オランダロシアフランスなどと取り分の少ないドイツオーストリアイタリーなどとの醜い争いです。
ドイツは新産業の電機、化学工業でリードしイギリスに対抗するようになった!
イギリスは世界工場などと言って安心できなくなった。
ヨーロッパ諸国の産業革命の進展は残された暗黒大陸のアフリカに向かい一斉に植民地争奪戦に乗り出したのであった。
経緯は省略するが最終的に第一次世界大戦へとなったのだ。内輪もめの第一次世界大戦は四年半続いた、アメリカ、日本は圏外であった。
この大戦でアフリカの植民地国民300万人は傭兵として多数駆り出され白人のダミーとした犠牲になっている。この惨憺たる現状を見てドイツの哲学者オズワルド、シュペングラーは大著
西洋の没落を書き残したのだ。さしもの西洋文明も死滅期に入ったと予感したのであろう。
スタバにて書き流し徳永の世界史  その97  5年2月27日
ここ五百年の徳永の世界史も荒っぽいが百日になんなんとする!

ここらで白人の侵略目標の最終国の日本が何故、唯一、侵略を免れたかを論じてみたい。それには
日本歴史の先人を見ればよく理解できよう!
ポイントは秀吉の朝鮮出兵、徳川時代の対策、アヘン戦争の学習、吉田松陰の先見性、欧米が驚嘆した日本の技術力、岩倉使節団の
欧米文化洞察力、明治の超高給外人雇用による新知見輸入。
元々の日本人の知見の高さ武士の精神などで見て取れる!
スタバにて書き流し徳永の世界史  その98  5年2月28日
なぜ日本だけが白人の侵略を防ぎ得たのか!19世紀の半ばは日本だけ白人の植民地ではなかった。
かかる時にアメリカのペルーが黒船でやってきた!なぜ日本のみ侵略を免れたか!
これには、16世紀に遡って思考しなくては分からぬ。
前述通り16世紀の侵略先進国はポルトガルとスペインである。彼らの手口は十字架と鉄砲である。
種子島に来たポルトガル人から二つのピストルを買った八坂金兵衛は一年後には十丁のピストルを作成した。
数年後には種子島には600丁あったのだ。改良に改良を重ねた火縄銃は猛烈な速さで日本国中に行き渡ったのだ。
半世紀前にチャイナに渡った鉄砲はまだ行き渡っておらなかったのだ。
鉄砲伝来から僅か30年後には、かの有名な長篠の戦いで織田信長は鉄砲隊三千人を三隊に分け長篠の戦いで
武田軍に圧勝したのも記憶に生々しい。日本人は優秀なのであり日本侵略は無理と宣教師も本国に報告していたのだ。
スタバにて書き流し
徳永の世界史 その100  5年3月2日

日々寄稿して百日となった!
怪しく雑だが基本的間違いは無いと確信している。
秀吉が朝鮮出兵し挫折したが、当時のスペイン、ポルトガルなどが東洋進出し彼らはチャイナこと明に矛先を向けていた。
朝鮮は経由地に過ぎない、
秀吉は明を目指していたのではないか?
明が白人の手に落ちれば!日本安泰の為に秀吉は挑戦していたのかも?
秀吉の後、家康は宣教師を活用し御朱印船貿易の南蛮貿易を奨励した。関ヶ原で敗れた西軍の浪人の海外移民を大いに奨励している。
海外渡航ブームとなり、東南アジアの港町には20箇所以上の日本町が生まれた。シャムのアユタヤ、カンボジアのプノンペンは有名だ。
アユタヤの山田長政当時の日本町人口は10万人越していた。朱印船は、台湾、トンキン、カンボジア、ルソン、シャム、莫大な利益を
産みオランダ、ボルトガルを凌いだと云う。鎖国令が出るまで大航海じだがあったのだ。
幕府の鎖国令は寛永で2度発令され完成した。これにより日本町は衰微、これが続いておれば東南アジアの日本町は白人やチャイナを
凌ぐものがあって、アメリカと戦う事が無かったかもであろう!