スタバでの書き下し徳永の世界史  近世五百年

アヘン後の極東 その133  5年44

さすがに、列強のチャイナ侵略はチャイナ人を刺激した、1900年、遂に、「扶清滅洋」を掲げる「義和団」運動が起きた。

列強の国々は自国居留民を守る為に軍隊をチャイナに派遣した。

これが北清事変だ。処が事変は鎮圧された後にもロシア軍は満州に

居残った!狡猾で約束守らぬ本生がある!それどころか朝鮮半島にまでロシア勢力を伸ばしてきたのだ!

日本の生命線の朝鮮半島だ!力不足の日本はイギリスと結ぶ、日英同盟だ。日本の生命線である弱き朝鮮を救う為に侵略的ロシアに宣戦布告するのは理の当然であった。ロシア、ドイツ、フランスへの

臥薪嘗胆が遂に爆発したのは必然であった。