スタバでの書き下し徳永の世界史 近世五百年
その147 令和5年4月18日
忘れもしない、アメリカが日本に最後通牒だとしてハルノートを昭和16年11月26日に送ってきた。
これは明白な宣戦布告だった!開戦しなければならぬように挑発し日本よ死ねと迫った。
日本はそれまでアメリカに対して豊かな文明国だと尊敬し、友好関係維持に努めてきた。一度としてアメリカ領土を脅したことはなかった。日米交渉は日本を戦争に巻き込む一方的な挑発であったと見る。
村松剛氏は、日本がポツダム宣言を受諾の報を受けた
ニュヨークタイムスは、昭和20年8月付けで、「太平洋の覇権を我が手に」の大見出しの下で「我々は初めて太平洋に邪魔物はいない。これはアジア大陸のマーケットは我々のものになったのだ」の記事を掲載した!
アメリカのペルー以来の露骨な底意を露呈したものだ!