スタバでの書き下し徳永の世界史  近世五百年

その177  令和5519

明治の 開軍以降の軍律に関してお話する。

私は最後の陸軍幼年学校に入校決定していた男だ。

陸軍大学、士官学校、幼年学校がある。幼年学校は陸軍幹部として、軍事作戦は一切教育しないで紳士教育のみをした。末は博士か大将かの時代であった。

明治以来、日本軍は規律正しい統制の取れた模範の軍隊として世界的に定評があったのだ。軍人勅諭、戦陣訓、

旧制中学校の教練でも記憶させられた。厳格な軍律があったのだ。占領地で、略奪、強姦など有り得ない!

違反が発見されたら、恐ろしい軍法会議で重営倉の監禁であった。白人を含む外国では、チャイナの馬賊、バゾクなど侵略先の町村を破壊、泥棒や強姦はやり放題だった。特にチャイナの馬賊など、これが、唯一のサラリーだから、この時とばかりの悪事は当然であった。

シナ事変で日本軍は民衆に多大な迷惑かけたと言うが、それは日本軍ではなく、ゲリラ的シナ兵が敗残し逃亡する時に、自国民に対し略奪、暴行の限りを尽くした結果なのだ。チャイナ自国兵がやった乱暴狼藉を敗戦した日本軍にすり替えたのが東京裁判なのてある!