スタバでの書き下し徳永の世界史 近世五百年
その193 令和5年6月5日
民族の宗教は民族性の本源を表すものだ。
一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、どれも
排他的なものを内に秘めている。
それぞれが崇める神のエホバ、キリスト、ヤハベェ、アラーの神以外は信じてはならない、右手に剣左手に聖書を
持って異端者は殺すべしである!
その場合は神の許す殺人だから感動こそあっても罪の意識は感じない!
これに対し古代ローマ帝国の多神教と日本の八百万の神々は異端者に対して極めて寛容である。
神道には唯一絶対神が無いからヨーロッパや中近東のような宗教戦争は無い。
キリスト教徒はキリストの残虐な刑死の姿の血のしたたる
十字架と常に対面し拝礼する。
我々の仏教ではお釈迦さん自然死の涅槃、ねはんの像に親近感を覚える。どの仏像にも血の匂いは無い。
刑死の十字架には常に復讐、嫉妬、怨念の暗い影が漂う!
日本人の特性を示す一例をあげる!
日露戦争で乃木希典大将旅順開城の折、水師営の会見で
勝者の乃木希典大将は、敗者のロシアはステッセル将軍を
招いて、敵ながらよく戦ったと、昨日の敵は今日の友と、
ねんごろに遇したのだ。
乃木希典は二人の息子を戦死させていたのだが。
あっぱれな日本武士道てある!
対してマッカーサーは戦争が終わると日本の総大将東條英機を裁判し絞首刑にした!!!
この対比こそ日本と西洋の残虐性を鮮やかに示すもの
はなかろう!
日本文化、日本人に矜持を持て!!!