「この国を思う」その一 安岡正篤 平成21年6月1日

死蔵は偲び難く   

安岡正篤先生が「この国を思う」と題した著作をものしておられる。

恰も現在、生存せられて警鐘を乱打されているが如くである。        

この論説を死蔵しておくに忍び難く、ここに敢えて広く世間に知らしめたい。平成21年6月 徳永圀典

第一編「日本の運命」

これでよいのか日本 

日本の現状は、経済も政治も教育も文化も、何もかも、一切が、ゴマカシのきかない大詰めに到着している。これを何とか打開しなくては、日本は自ら崩壊することは自明である。

歴史の体験と、人間の理性とが虚偽でない限り、日本がこのまま無事にすまぬことぐらいは誰でも常識があれば分かることである。

なぜこうなったか   一体、どうして、日本はこんなことになってしまったのか、一体、これをどう打開したらいいのか。         我々日本人は、明治以降、えらく、それこそ世界の奇跡のように言われて大層な進歩発展をしたもののように自惚れておった。

大油断

だが、日本人には、とんでもない抜かりがあった。最も大きなものは、一番大切な「精神」に大油断があったのである。        

日本のあらゆる行き詰まりは、究竟きゅうきょうするところ、この精神の行き詰まりに外ならないのである。

魂を失った日本

近代日本人は、明治以来全く、西洋近代文明に集中して参りました。東洋は、日本もシナも、世界の文明に遅れた国である。世界の文化の時代錯誤的アナクロニズム的存在である、

骨董的存在であるとして、よほど趣味因縁を持つ人の外は、中日問題や東洋的教養というようなことに関連しては何等熱意をもたなかったと申してよいのであります。

無知な日本人

我々の親あるいは、祖父母の時代には、まだ般若心経でも誦したり、「論語」「孟子」を読んだり、「史記」や「三国志」でも繙き、或は「日本外史」も読んで見るという風習がありまし     たが、近代になりましては殆どそういうこともない。東洋に関する歴史的知識、あるいは民族精神、あるいは地理に関してすらも殆ど無知でありまして、その点むしろ想像以上と言ってもよい程であります。

創造的に頭脳を     

これはインテリ日本人にとっては実に困惑すべき現象であります。地理、歴史、哲学、文学、政治、経済諸般のことになるまで無知なところに難問題を課せられたのであります。それからまたこういうことも非常な悩みであります。明治末期から大正、昭和にかけて、日本の文化は段々メカニズム、機械主義になって来ております。

人間を自由に用いよ

学問、教養に関しましても、受験勉強ということが総てを物語っておりますように、機械的な暗記や性能であって、創造的に頭脳を使うことが少ない。さらに人格の修養ということから甚だ縁遠い。ただ学校で課せられる学科を機械的に処理してそして一時間二時間試験場で極めて機械的に間違いなくそれを反覆再現すればよい。学問をとっくり身につける余裕がない。

任用  

人事行政など見ましても、日本は文明国の中で最もその弊が激しいのでありますが、人間を自由に用いるというようなことが少ない。

成績の順番であるとか年齢の順位履歴のいかんによって機械的に取り扱われた「任用」という言葉を何気なく使っておりますが、この言葉は東洋の政治的術語として大いに意義のあることであります。

政治の三原則        

政治には三つの原則があるのです。それは出来るだけ優秀な人物を漏れなく認識すること即ち賢者を知ることであります。
これが第一原則。

それから知った賢者を、知っただけでは何にもならぬので、これを挙げて用いる、これが第二。

人格的感激の喪失  

それから第三は、用いてこれに任せること。その反対に人材がおってもこれを知らない、知っても用いない、用いても任せない。責任を取らせ権力を任せても使わない、飽くまで機械的にこれを使役する。それは国家の三不祥事であります。実際任用と言う言葉は、そういう優れた人物を挙げてこれを用い、用いて任せるということなので、それで「任」という字が付いている。処が普通は任用、任用と口では言いますが、実は「使用」でありまして、どうも「任」というところがない。地方官に致しましても、堂々たる一県の長官が実は自分の女房役を始めとして、高等官に就きましては、一向自分で採用する自由がきかない。自分の大事な部下がどこにいつ転任させられるか   誰がまたどこから来るか少しも分からぬといったようなふりでありました。師団長になりましても、参謀長を始め、自分の大事な部下が自由に本省から左右されるのが普通でありまして、いわば寄合所帯に過ぎなかったのであります。人格的な感激、結びというようなものはどんどんなくなってきたのであります。 そこで実際仕事のしぶりも、やはり学校勉強、受験勉強と同じであります。感激を以て仕事するというようなことがまことに少なくなりまして、まあ事務規定に従って、与えられた職責をその権限内に執行するというようなふうになりましまた。これはどうも、創業の時代から段々落ち着いて来ますると、ことに文化的末期、いわゆる世紀末時代になりますと、いつの時代でもどこの国でも見る甚だめでたからぬ現象であります。

政治の緩みとだらしなさ

世紀末共通の現象

御無事御堅固 最後は人物

資本主義的及び社会主義的教養の共通性        

日本の例で言いますれば、徳川時代でもそうでありまして、元亀天正から創めて三代四代目位までは非常にクリエイティブと言いますか、創業的情熱がありましたが、それから段々幕府の政治、人事が機械化してしまって幕末になりますと実に政治は緩んでだらしないものになって来たのであります。当時は現代のように言論が自由でない。従って自然に狂歌や風刺が行われた。その中に痛烈骨を刺すような落首があります。それは今申しました幕府のメカニズム、支配階級のメカニズムを物語るもので「世の中は御無事御堅固ごぶじごけんご致候いたしそうろうつくばい様ように拙者其許せっしゃそこもと」こういう落首が流行りました。御無事御堅固は今日の言葉で言うと、首は大丈夫か、首を馘きられる心配はないか、安全第一主義であります。従って余計なことをして責任を取るようなことは馬鹿馬鹿しい。なるべく言いつけられたことを機械的に執行すればよい。

こうしよう、ああしょうと自ら進んで何もやらぬ。いわゆる功有るを求めず、ただ過なきを求むと申します通り、ただもう安全第一主義。その外はつくばい同様に、即ちおべっかを使い、阿諛あゆする。そうして拙者其許そこもとは「僕ぼく」「君きみ」で、ナンセンス、ゴシップでしまいだ――こういうのです。       幕府の支配階級は偉そうな顔をして威張っておっても、あの侍どもは地位や首のことばかり考えて、意地も張りもない、唯々機械的に仕事をして、おべんちゃらとナンセンスで暮らしておるという、民間の当時官僚に対する反感皮肉であります。

これは独り幕府の現象に止まらず、あらゆる世紀末時代のどこの国でも共通の現象であります。大正末期にも、エロ・グロ・ナンセンスという時代がありました。国内が平和で組織が安定していて、そうして刺激のない機械的活動ですむ間はこれでも何とかなったのでありますが、一度時代が動揺し、色々の問題が起こって、機械的活動から進んで有機的な、創造的な活動を要求する時代になって来ますると、これでは勿論相すまない。

すべて現代の複雑で大規模な世界的問題に普通の人間では判断がたちません。畢竟最後に人物である。金でもなければ、機械でもない、結局は人物。その人物がない、人材が乏しい、少なくとも適材を適所に用いる上に誤りがあり、不足があったということに帰着して来ます。大衆の時代ほど実は勝れた指導者が要るのであります。 

私どもし主として大正の時代に学歴を終えた者であります。今日、世の中の第一線に立ってオる人々、まず四十から六十という所を見ますると、先ず大正の末期から昭和の初めにかけて、中学校、高等学校、専門学校大学を通った人々で、現代知識階級の代表的年齢及び学歴の持ち主であります。

唯物主義と経済主義は同根        

この時代の人々は一体どういう思想教養で育ってて来たかと申しますと一般的にまず著しいものは、いわゆる「資本主義的及び社会主義的教養」、この二者は理論的に言えば、むしろ対照的といいますか全然正反対なものと常識的に解釈されるのでありますが、ここに不思議なことは、両方を通じて唯物主義、あるいは経済至上主義ともいうべき点に於いて全く共通であります。これは洵に妙な現象でありまして、いわゆる資本主義としいう言葉を以て代表せられる思想を持つ者は、人生に於いて、世に処する上において、経済というものを非常に重んずる。もっと徹底して言うならば、金融的成功、金を儲けるということを最も重んずる。

誤解の産物この点については、周知のアダムス・スミスなど非常に誤解され或は濫用されたのでありまして、人間というものを彼が経済的に論じましたものを、さらに一般にまで及ぼしてしまって、人間は利己的なものだ、各人は各人の利己目的を追求して、それがそのままにちゃんと全体社会の調和的進歩を実現するように仕組まれてある。

だから人間はとにかく自己の目的を追求すればそれでよいのだ。こういうような非常に利己的功利主義、それからさらにコブデン・ブライトあたりに代表されるマンチェスター派あたりの思想系統になってきますと、益々世道人心を禍したのでありますが、もう明らかに人間の人間たる所以は経済財、つまり財貨を所有し、生産し、消費するというような経済行為に特徴があるのであって、人間は経済的に余裕があって始めて意義のある生活ができる。

経済生活至上主義

幸福な家庭の一員にも、忠良なる国家の臣民にも、あるいは親睦な倶楽部の会員にも、敬虔な教会の信者にもなれるのである。経済生活に余裕がなければ、一切おじゃんだ。だから家庭だとか、あるいは社交だとか或は宗教だというようなことは人が経済生活に余裕があって後のことだ、こういう考え方。

衣食と礼節  

然し、これは独り西洋近代の思想であるばかりでなく、東洋にも昔からある思想でありまして、総ての人がよく引用しますように「管子」という政治学書に「衣食足れば則ち栄辱を知り、倉廩そうりん実みつれば則ち礼節を知る」とあって、これを約つづめてよく「衣食足れば礼節を知る」というふうに簡単に申しますが、これが一番世の中の真理だ、こういう考え方、これが近代になって経済生活がむづかしくなるにつれて、もう人間は金儲けが一番大事、金融的経済的に余裕のある生活が殆ど全目的であって、その外のことは寧ろ形式道徳のヘボ議論か、時代遅れの思想である。文化だの何だのということは経済現象の後に存立するものであって、学問をやるならまず経済学、一切の議論はまず経済論上に樹てらるべきものである。

社会現象を経済的見地からのみは大間違い

社会現象一切は経済的見地から観察し、討論さるべきものである。本を読むなら経済書というふうに、ほとんど経済学というものが思想教養を風靡してしまった。そこで決定的に思想を導いてくるのには、社会主義、共産主義があずかって力があった。即ちマルクスなどは明らかに経済機構というものが人生の基礎建築であって、学校、教会、組合、あるいは色々な法律、礼儀、慣習、その他一切の理念、文化というようなものは経済機構の上に建てらるべき上層建築である。

経済学批判序説

だから先ず以て経済生活の問題を解決しなければならないというようなことを「経済学批判序説」にも論じております。この思想が日本人をも盲目的に賛成せしめた。外国人も後に段々精神的に反省するようになってからは、これに向って妥当なまた親切な批判を加えるようになりました。

金儲け第一主義の低級な誇り     

例えば、社会学者の中にも次のようなことを指摘する者もおりました。資本主義が攻撃非難の的になっておるが、一体資本主義のどこが悪いかと言えば。結局少数の資本家階級あるいはそれに従属するところの生活者が人生の第一義を金融的         成功に置く、平たい言葉で言えば金儲け第一主義、そうしてその金回りのよい連中はそれを自分の特権あるいは自分の誇りの如く心得てそれで低級な贅沢を恣ほしいままにする。

人間の嫉視

処が人間の心理というものは人格的の優越でさえとにかく嫉視しっしを招き易いものであって、況いわんや物質的成功、ことに多数の者から非常に飛びぬけた少数者の贅沢というようなものは民衆を刺激して、大多数の民衆をやはり自分達もああいうふうな生活をしたいものだ、ああいうふうになりたいものだという功利主義、物質万能主義、金融的成功第一主義に駆り立てる。

矛盾撞着の結果は

しかもそれが出来ない。近代社会機構、経済機構の中に含まれるところの諸種の矛盾撞着どうちゃく等のために段々貧富の懸隔けんかくが甚だしくなる。そこで大多数が絶望に陥るということになってくると、その連中の猜疑羨望さいぎせんぼうというものが非常にひねくれて行く。そして階級的反感が煽あおられ、それに理論がつき、運動が起り、結局階級闘争が激化し世界を無秩序と動乱に導いてしまう。これが悪いのだ。

人間の精神に在る

つまり資本主義が悪いということは何も資本が悪いのでもなく、必ずしもその機構に欠陥があるものでもなく、実は突き詰めて見れば、その少数資本家階級、またはそれに従属して生活する人々の精神に在るというのであります。既に第一次ヨーロッパ大戦争に際して日本人がいわば漁夫の利を占め、農村の隅々まで泡沫的な好景気が行き渡った。この時分から誰も一身の利害というようなものを超越せぬまでもそれを軽んじて、そうして人生の最も高貴な感激のある仕事に身を挺して就くというふうな気分など全く衰えたことは否むべからざる事実であります。この時代に生活し、この時代の教養を受けた者はみな赤か桃色か位の相違でありまして、多少ともこの空気の感染しておらぬ者はない。