あれから40年
住友銀行の部店長は55才で勇退する不文律があった。
そして徳永は孫銀行のふそう銀行へ天下る。
地銀の現場経験をする為10ヶ月、常務取締役、本店営業部長として地銀現場経験をした。
鳥取県内て最も広大なロビーを持つ銀行本店営業部の大奥に鎮座した。
週一回は鳥取金融界の幹部会六人の昼食会
日本銀行、合銀、鳥銀、ふそう銀、鳥信、みずほ銀、三井信託銀の代表達。
引退後35年
徳永は
鳥取県内支店総括であり外出は黒塗り専用車による送迎、
県庁では副知事、出納長など
鳥取市は父の教え子の西尾市長、宮本収入役、
商工会議所は友人の親戚米原会頭、副会頭は旧知の用瀬の山住氏、
民間は企業社長などとの面談が主たる私の仕事だあった。
用瀬の本宅からはゴルフなら送迎だが通勤は列車にした。
金曜日は日交バスで宝塚の自宅へ、そして日曜の夜は用瀬本宅へ帰宅の5年間であった。
宝塚帰宅バスの隣席は常に
叔父米原章三と父の創業した日本海テレビの常陰専務であった。
鳥取県内の情報交換のバスで楽しかった。
鳥取市内は歩く事は少なかった五年であった、
住友銀行の指令で子銀行整理方針をやり遂げ満六十才で引退した。
住友銀行関連企業の専務をと住友銀行トップの打診を蹴り完全に引退した。
以後宝塚宅を中心として妻と旅行を楽しみつつ、東京大阪の友人との懇親、ゼミ参加などを楽しんだ。
関西では万葉集の大家犬養教授のゼミに参加、
東京では経済ゼミに参加など。
宝塚市雲雀丘の邸宅では家内が70才で帰郷を要望した為、用瀬本宅で過ごしたが広壮で
冬住み難く鳥取市内の現地に新築したのが72才、
それから毎日自転車で市内を闊歩して23年となった!
満95才はあと一ヶ月となる!!
昨日の定例泌尿器科医師曰く心臓音が良い、尿は満点だと!
まだ徳永は生かされてる!
令和八年三月七日
徳永圀典