日本あれやこれやーその16

平成17年 8月

 1日 日本文化の特色

手の文化

「手」とつく言葉が1000以上あると言われる。頭でなく手で考え、手で行動して文化を作ってきた。「手の民族」で経済大国を得たと言えるのである。

西陣織、友禅染等の絢爛たる文化、現在のテクノロジー、日本人の手が生んだ成果に相違ない。
 2日 やまと言葉

日本民族がこの列島で暮らしている内に自然と喋りだしたのが「大和言葉」、日常会話の中に「手」とつく大和言葉が千ほどあるという。英語に訳せない独特の言い回しである。

渡部昇一先生によると、大和言葉は、柔らかく、母の肌のごとく、また乳房のこどく、遊び疲れた赤ん坊が母の胸の中に潜り込むような「やさしさ」があり、大和言葉は日本人の「魂のふるさと」だという。
 3日

文語的、漢文的な表向きの表現「寛大な御処置」という表現。

大和言葉で言うと「お手やわらかに」である。
 4日

「和解成立」などは大和言葉では「手を結んだ」でよい。

「八方処置を講ぜり」は「手をつくした」である。
 5日

「手応えがある」、「手が早い」「手塩にかけて」など日本語独特の言い回しである。

「手にあまるーintractable」、「お手上げーgive up」、「手を切るーcutt off connection」、「手落ちーcareless、error」、「手形―bill」、「切手―stamp」などhandに拘っていては翻訳できない。

 6日 日本の労働はみな「手仕事」1

中近東・ヨーロッパ文化圏の人々は遊牧、牧畜、狩猟生活中心で生きてきた、大平原や広い砂漠地帯を足で歩き廻る、いはば「足」で稼ぐ文化、フィートはfootからでありサッカーである。

日本は豊葦原瑞穂の国で水田稲作農耕もすべて「手」で稼ぎ、凡ての行動は「手」を動かすことで成立してきた。
 7日 日本の労働はみな「手仕事」2

日本人は足や口でなく「手」が凡て、「歌い手」「聞き手」「やり手」「相手」「売り手」「若手」と「手」即「人」である。

野球は「投手」、「捕手」「一塁手」、また自分自身を指して「お手植えの松」「手下を差し向ける」「手を貸す」「殿様手ずから」、「手形」が己自信の証しであり「手相」が自己の運命の証しとなる。
 8日

日本では手作りの料理、菓子、道具が珍重される。

「手打ちウドン」「手のべ素麺」などの「手料理」は人間の温かい心を示す
 9日

手を動かす仕事だから「手間賃」「手当て」が支給される。

「勤勉手当」「超勤手当」「扶養手当」である。
10日

手は働きを代弁し「手に職をつける」、「我が家の働き手」、隣家は「人手が三人」などという。

石川啄木「はたらけど働けど猶わがくらし楽にならさざり ぢっと「手」を見る」
11日

世界のホンダの創業者、本田宗一郎氏の自伝「私の手が語る」がある。

手一本で成功した歴史を、手の傷跡で語っている。
12日

日本では敵と戦うのは競争や遊戯でも<すべて手である。

「それはいい手だ」「手早く」「手を打て」「敵を手玉にとる」と言った表現。
13日

逆に負けた場合は「手抜かり」、「敵の手に乗り」、防御に「手を焼き」「手に負えぬ」「お手上げ」となる。

態勢挽回には「手を尽くし」「大手より搦め手」、「押しの一手」で攻め立てる。それが「決め手」となる。
14日

「手こずる」は、安永1770年代からの流行語らしい。「手練手管」は悪巧みの警戒。

勝負には「得手」「苦手」「不得手」の手が沢山あるが「決め手」は「王手」。戦うには「手合わせ」,勝機の「手がかり」を掴み「手口」を使い「仕手戦」を張る。
15日

韓国の大統領のように、背信は「手の平を返す」ようとと言う。大打撃を受けることは「深手を負う」。

日常でも「得手」「勝手」、隣の「やり手」のおばはん、「聞き手役」のお婆さん、「苦手」のおっさんとなる。
16日

台所で「素手」で火傷をする、娘は「空手」を習っているそうな。息子は将棋が好きでお得意の「奥の手」でいつも「王手」をかけている。

旦那は勝負ごとが「苦手」で中々「先手」が打てずいつも「後手」ばかり踏んでいる。
17日

物事には矢張り「上手と下手」―じょうずとへた―があり「上手と下手」−うわてのしたてーとはあるものだ。

人間関係がもつれたたいが、どうやら「手を結んて」落着したらしい。一方で、悪い奴者と「手を切った」らしい。

18日

「切手」「小切手」があるが「空手形」だけは振り出してはならぬ。

時代物のドラマの人気は「十手」持ち、囁くさまは「手短に」か。「お手柄」あげねばなるまいぞ。
19日

手を接頭辞として語調を整えるのに「手広く」「手厚く」「手始め」とある。

「手頃な」「手軽な」「手痛い」「手土産。

20日 「手荒な」ことはめなさい、「手心」加えておけと親の言う。

挨拶に行くには「手始めに」「手土産」忘れなさんなと気配り「上手」。

21日

仕事が「手間取り」「手遅れ」になってはならぬから今夜は残業。

まあ、仕事は「手加減」加えていい加減にしてよと妻の言う。「手落ち」が見つかりあとで「手直し」ごめんだよ。「手助け」うけるは恥だからと殊勝な心掛けの旦那かな。
22日

昔は「手慰み」に「手毬」凧揚げ、大人になってからは「お手前」「上手」の娘さん。お料理作りは「お手のもの」、「派手」でないからいいお嫁さんになると近所の評判だよ。

呉服屋さんが、うちでは「その手のもの」は扱いません。口の巧い人の「その手に乗るな」、そんな「手合い」の言う事を信用してはなりません。

23日

山のある方向を「山の手」、土の盛ってあるのを「土手」といい、川の方向を「川手」という。

「二手に分かれろ」と「追手」が迫る、「行く手」を遮るなと叫んだ逃げ足早い泥棒。
24日

お城には「大手門」「搦め手」「追手前」とある。

空気のように自由自在に「手」を使う日本人。もう私の「手の内」はお終いに近い。
25日

手」を「手品」のように使う日本人。

「手の民族」と言える。「算盤の名手」が少なくなりあれは暗算もできると素晴らしいものだか最近は使われないとか。残念である。
26日

手と脳とは相関関係があるという。「手」を動かすほど頭脳明晰になるらしい。呆け防止にも役立つ。

「手は外に飛び出した脳」「手は脳の出店」とか。

27日

「手」とは考えれば考えるほど不思議な存在と言える。

両手で水が飲めるのは人間の「手」だけ。人間は「手」の動物と言われる。「手の人」−HOMO FABEL−ホモフアーベルである。
28日

手と脳とは100万本の繊維で繋がっているという。手と脳は密接に連絡している。

手に匹敵するような機械はない、手は万能の機械である。その手を最高の高度に使えるのが日本人の手ではあるまいか。
29日

手が器用な日本人が手の文化を育てたが、食事に「箸」を使い続けたことが決定的な役割を果たしている。

箸の使用には「手」と「指」の微妙な動きが必要。肉食の白人は食事のフォークで「手指」を使わない。文化や技術の差と相違を生む要因である。

30日

箸を器用に使う日本人は、サンマの小骨を箸で選り分けて2千年以上経過した。白人から見れば日本人の「箸」の使い方は手品師のように見えるらしい。

箸は食物と口とをハシ渡しするもの、端と端を結びつけるものの意味もあるという。
31日

手食はアフリカ・中近東・東南アジア。箸食は中国・韓国・日本。フォークとスプーンはヨーロッパ、手食が4割、ヨーロッパ式3割、箸食3割という。

匙を使う中国・韓国は銀や象牙の箸も使う。中国・韓国と異なり日本は、奈良時代から1300年間、木の箸のみで食事している。日本のみ木である。