美しい日本の歌 10月 万葉集@
秋本番である。私の歌の故里は、やはり万葉集のようである。再び素朴で大らかな万葉集に還る、否、三度、四度目かもしれない。まあ、いいではないか、時はたっぷりある、楽しみつつ地域ごとに纏める。
大和 | |||
1日 | 1. 泊瀬朝倉宮 |
籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち |
巻1―1 雄略天皇 求婚の民謡風、五世紀後半の英雄的君主の大らかな国見の歌かな。 |
2日 | 1. 泊瀬の隠口 |
隠口の 泊瀬小国に よばひせず わが天皇よ |
巻13−3312 作者未詳 古代の妻問い習俗、男の問いに対する女の答えである。男女の吐息が聞こえる。 |
3日 | 1. 初瀬川 |
泊瀬川 流るる水脈の 瀬を早み 井提越す浪の |
巻7−1108 作者未詳 隠口の初瀬、このような清らかな水は今は昔、「泊瀬川 白木綿花に 落ちたぎつ 瀬をさやけみと 見にこしわれを」「夕さらず 河蝦鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音を 聞かくしよしも」清い歌ばかり。 |
4日 |
.忍坂の山 |
隠口の 泊瀬の山 青幡の 忍坂の山は 走出の |
巻13−3331 作者未詳 三輪の金屋付近。青々とした木々の茂りを思わせる、人が走りでて、すっと立っているような美しい山々が荒れて行くのは惜しいなあという感慨か。想像を絶する思い。 |
5日 | 鏡王 |
秋山の 樹の下隠り 逝く水の われこそ益さめ |
巻2−92 鏡王 額田王の姉、藤原鎌足の正室。その前に天智天皇への贈答歌。しみいるような静かな秋の山の、木の下に見え隠れして流れている水の水かさが増すように、私のほうこそ一層深くお思いしている、つつましく、ひそやかな感性。 |
6日 | 倉橋川 |
梯立の 倉橋川の 石の橋はも 男ざかりに |
巻7−1283 柿本人麻呂 石の橋とは飛び石、谷川の清流の中の飛び石、青春時代を想起する老爺の吐息か。 |
7日 | 倉橋川 |
梯立の 倉橋山に 立てる白雲 見まく欲り |
巻7−1282 柿本人麻呂 近くの高い音羽山、白雲がかかっている、私が見たいと思うその時に。寓意があるとの説。「倉橋の山を高みか 夜ごもりに 出でくる月の 光乏しき (間人大浦)」 |
8日 | 三輪山 |
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや |
巻1−18 額田王 奈良山にむかう王が郷愁で三輪山を思うのは三輪山の神性と無関係ではない。 |
9日 | 海石榴市 |
紫は 灰指すものぞ 海石榴市の 八十の衢に |
巻12−3101、3102作者未詳 古代の賑やかな八十の巷、青年男女の恋の歌かけ、歌枕。名を知らさないのは恋は不成就。 |
10日 | 三輪の神杉 |
味酒を 三輪の祝が いはふ杉 手触れし罪か 君に逢ひがたき |
巻4−712 丹波大女娘子 祝は神官、老杉には神蛇がいます信仰の三輪。いとしい人に逢えないのを嘆く。 |
11日 | 大和三山 |
香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より かくなるらし いにしへも 然なれこそ うつせみも 妻を あらそふらしき |
巻1−13 中大兄皇子 藤原京は大和三山の真っ只中にあった。遠く金剛山、葛城山の遠望も、うつせみの恋の苦悩であろうか。香具山はかわいい山ではある。 |
12日 | 三輪―檜原 |
いにしへに ありけむ人も わが如か 三輪の檜原に かざし折りけむ |
巻7−1118 柿本人麻呂 美しい檜原であったろう、その檜の枝を山かずらとして頭にかざした昔からの三輪山信仰。 |
13日 | 三輪の檜原 |
往く川の 過ぎにし人の 手折らねば うらぶれ立てり 三輪の檜原は |
巻7−1119 柿本人麻呂 檜原がうらぶれて見える、愛着のある人の死を思う人麻呂であろうか。巻向の車谷に山川が流れている。 |
14日 | 穴師の山 |
纏向の 穴師の山に 雲居つつ 雨は降れども |
巻12−3126 作者未詳 山の上の雲の流れを見つつ、小雨に濡れて女に逢いに来たのか。 巻12−3125「ひさかたの 雨の降る日を わが門に 蓑笠着ずて 来る人や誰」と問答風である。 |
15日 | 巻向の川音 |
ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の 川音高しも 嵐かも疾き |
巻7−1101 柿本人麻呂 調べが絶妙、夜が深々と更ける、山から吹き下す風、川音も急に高くなった瞬間が彷彿とする。 |
16日 | 弓月が嶽 |
あしひきの 山川の瀬の 響るなべに 弓月が嶽に 雲立ち渡る |
巻7−1088 柿本人麻呂 とても好きな歌、瀬の音の高鳴りに、ふと見上げれば弓月が嶽に雲の立ち流れるさまは絵のようだ。 |
17日 | 石上 |
石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれは 更にするかも |
巻11−2417 柿本人麻呂 霊剣、布都の御魂を祭る、古代大和朝廷の宝物埋蔵あり、神道の祖・物部氏の神社。畏怖と懐古の心が湧く。 |
18日 | 布留川 |
石上 布留の高橋 高高に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける |
巻12−2997 作者未詳 女の所へ通う夜の気持を歌ったもの、高揚した思いがあるではないか。 |
19日 | 櫟本 |
草枕 旅のやどりに 誰が夫か 国忘れたる 家待たなくに |
巻3−426 柿本人麻呂 香具山のほとりで行き倒れを見ての感慨、人麻呂も石見で客死し、妻はさぞ帰りを待っているのだろうと自分の運命を歌った。「鴨山の岩根しまける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ」 |
20日 | 剣の池 |
御佩を 剣の池の 蓮葉に 渟れる水の 行方無み わがする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を |
巻13−3289 作者未詳 池の蓮の葉にたまっている水の行くへもないように、途方にくれている時、逢うと言ってくれたあなたと、共寝してはいけないと母は申しますが、私の心は清隅の池の底のように深く貴方を思い忘れません。 |
21日 | 軽 |
天飛ぶや 軽の路は 吾妹子が 里にしあれば ねもころに 見ましく欲れど 止まず行かば 人目を多み 数多く行かば 人知りぬべし・・わが恋ふる 千重の一重も 慰むる 情もありやと 吾妹子が 止まず出で見し 軽の市に わが立ち聞けば 玉襷 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞えず 玉桙の 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべを無み 妹が名喚びて 袖ぞ振りつる |
巻2−207 柿本人麻呂 恋する人の訃報を得て、幻影を追い軽の市を彷徨う人麻呂。 |
22日 | 檜隈川 |
さ檜の隈 檜の隈川の 瀬を早み 君が手取らば |
巻7−1109 作者未詳 瀬が早くて流され、貴方が手を握ったら、噂を立てられるかしらと甘く言ってみたい、若い男女の声がセセラギと共に聞こえるようだ。 |
23日 | 檜隈大内陵 |
やすみしし わが大君の 夕されば 見し給ふらし 明けくれば 問ひ給ふらし 神丘の 山の黄葉を 今日もかも 問ひ給はまし 明日もかも 見し給はまし その山を ふりさけ見つつ 夕されば あやに悲しみ 明けくれば うらさび暮し 荒栲の 衣の袖は 乾る時もなし |
巻2−159 持統天皇 天武・持統の両天皇の合葬陵。壬申の乱の時、野を越え山を越える苦労の両天皇、深沈とした大器量人の持統天皇の力が大きかったと言われる。天武崩御の折の持統天皇の格調高き調べの挽歌である。「背の君たる天皇が朝夕ご覧になるだろう飛鳥の神岡の紅葉を、もしご在世なら今日も明日もお尋ねになるだろうに、その山を今一人で眺めねばならない悲しさ、とりとめなさ、ああ、衣の袖は乾くこともない。 |
24日 | 文武天皇陵 |
み吉野の 山のあらしの 寒けくに はたや今夜も わが独り寝む |
巻1−74 文武天皇 文武天皇とは軽皇子、天武と持統天皇の間に生まれた草壁皇子の子。藤原不比等の娘の宮子を夫人として、後の聖武天皇となる首皇子を生む。 |
25日 | 橘寺 |
橘の 寺の長屋に わが率宿し 童女放髪は 髪あげつらむか |
巻16−3822 作者未詳 あの、おかっぱの少女は、髪をあげて、すっかり大人になつただろうか。橘寺は聖徳太子誕生の地。 |
26日 | 明日香川 |
明日香川 瀬々に玉藻は 生ひたれど しがらみあれば 靡きあはなくに |
巻7−1380 作者未詳 恋のしがらみと、明日香川の藻の靡くさま。「明日香川 瀬々の玉藻の うち靡き 情は妹に 寄りにけるかも」(巻13−3267) |
27日 | 大原の里 |
わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に ふらまくは後 わが岡の おかみに言ひて ふらしめし |
天皇には皇后、妃二人、夫人三人、嬪四人ある。皇后と妃は皇族に限る。あの藤原鎌足の娘、氷上娘(姉)と五百重娘(妹)は夫人。これは、浄御原宮で天皇がたいした雪でもないのに大雪と言い「古ぼけた大原の里に降るのは後だよ」とからかうと夫人は「うちの雨雪の神様にいいつけて降らせた雪のとばっちりがそちらに散ったのでしょ」との会話である。 |
28日 | 高家 |
ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手の 高屋の上に |
巻9−1706 舎人皇子 山腹にある高家の村、すうーと、夜霧のたなびく景観。 |
29日 | 飛鳥浄御原宮 |
大君は 神にしませば 赤駒の はらばふ田井を |
巻19−4260 大伴御行 作者は壬申の乱に戦功のあった人、「大君は神にしませば」の語の始まり。大海人皇子が吉野を出発し、7月23日、近江朝廷を壊滅させた壬申の乱、12月衆望をにない浄御原宮を開いた。 |
30日 | 雷丘 |
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 盧らせるかも |
巻3−2235 柿本人麻呂 持統天皇と言われる、実際は小さい丘である。壬申の乱後、天皇への絶対的な礼賛の思いの表現。 |
31日 | 甘橿岡 |
玉たすき 畝火の山の橿原の 日知の御世ゆ |
巻1−29 柿本人麻呂 ここから見えるのは、悲劇の皇子の大津皇子の二上山雄山、秀麗な畝傍山、孝元天皇の剣の池。日知の御世とは神武天皇、古代の中心が全て見える岡・甘橿である。 |