美しい日本の歌 10月 万葉集@ 

秋本番である。私の歌の故里は、やはり万葉集のようである。再び素朴で大らかな万葉集に還る、否、三度、四度目かもしれない。まあ、いいではないか、時はたっぷりある、楽しみつつ地域ごとに纏める。平成17101日 徳永圀典

  大和
 1日 1.  泊瀬(はつせ)朝倉宮

()もよ み()持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ふくし)持ち この岡に ()()ます() 家聞かな ()らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れしきなべて われこそませ われこそは()らめ家をも名をも

11 雄略天皇

求婚の民謡風、五世紀後半の英雄的君主の大らかな国見の歌かな。 

 2日 1.  泊瀬の隠口(こもりく)

隠口の 泊瀬小国に よばひせず わが天皇(すめらぎ)よ 奥床(おくとこ)に 母は寝たり 外床(ととこ)に 父は寝たり 起き立たば 母知りぬべし 出で行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明け行きぬ 幾許(ここだく)も 思ふ(ごと)ならぬ 隠夫(こもりづま)かも

133312 作者未詳

古代の妻問い習俗、男の問いに対する女の答えである。男女の吐息が聞こえる。

 3日 1.  初瀬川

(はつ)瀬川 流るる水脈(みな)の 瀬を早み 井提(いで)越す浪の音の(さや)けく

71108 作者未詳
隠口の初瀬、このような清らかな水は今は昔、「泊瀬川 白木(しらゆう)綿(めん)花に 落ちたぎつ 瀬をさやけみと 見にこしわれを」「夕さらず 河蝦(かはづ)鳴くなる 三輪川の 清き瀬の()を 聞かくしよしも」清い歌ばかり。
 4日

.忍坂(おさか)の山

隠口の 泊瀬の山 青幡(あおはた)の 忍坂(おさか)の山は 走出(はしりで)宜しき山の 出立(いでたち)の (くは)しき山ぞ (あたら)しき山の 荒れまく惜しも 

133331 作者未詳

三輪の金屋付近。青々とした木々の茂りを思わせる、人が走りでて、すっと立っているような美しい山々が荒れて行くのは惜しいなあという感慨か。想像を絶する思い。

 5日 鏡王(かがみのおおきみ)

秋山の ()の下隠り 逝く水の われこそ()さめ御思(みおもひ)よりは

292 鏡王
額田王の姉、藤原鎌足の正室。その前に天智天皇への贈答歌。しみいるような静かな秋の山の、木の下に見え隠れして流れている水の水かさが増すように、私のほうこそ一層深くお思いしている、つつましく、ひそやかな感性。
 6日 倉橋川

梯立(はしたて)の 倉橋川の (いは)の橋はも ()ざかりに わが渡りてし 石の橋はも

71283 柿本人麻呂
石の橋とは飛び石、谷川の清流の中の飛び石、青春時代を想起する老爺の吐息か。
 7日 倉橋川

梯立(はしたて)の 倉橋山に 立てる白雲 見まく()り わがするなべに 立てる白雲

71282 柿本人麻呂
近くの高い音羽山、白雲がかかっている、私が見たいと思うその時に。寓意があるとの説。「倉橋の山を高みか 夜ごもりに 出でくる月の 光乏しき (間人大浦)
 8日 三輪山

三輪山を しかも隠すか 雲だにも (こころ)あらなも 隠さふべしや

118 額田(おおきみ)
奈良山にむかう王が郷愁で三輪山を思うのは三輪山の神性と無関係ではない。
 9日 海石榴市(つばいち)

紫は 灰指すものぞ 海石榴市の 八十の(ちまた)に 逢える児や誰 たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 路行く人を 誰と知りてか

1231013102作者未詳

古代の賑やかな八十の巷、青年男女の恋の歌かけ、歌枕。名を知らさないのは恋は不成就。

10日 三輪の神杉

味酒(うまさけ)を 三輪の(はふり)が いはふ杉 手触れし罪か 君に逢ひがたき

4712 丹波大女(たにはのおほめをとめ)娘子
祝は神官、老杉には神蛇がいます信仰の三輪。いとしい人に逢えないのを嘆く。
11日 大和三山

香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より かくなるらし いにしへも (しか)なれこそ

うつせみも 妻を あらそふらしき

113 中大兄(なかつおほえ)皇子
藤原京は大和三山の真っ只中にあった。遠く金剛山、葛城山の遠望も、うつせみの恋の苦悩であろうか。香具山はかわいい山ではある。
12日 三輪―檜原

いにしへに ありけむ人も わが(ごと)か 三輪の檜原に かざし折りけむ

71118 柿本人麻呂
美しい檜原であったろう、その檜の枝を山かずらとして頭にかざした昔からの三輪山信仰。
13日 三輪の檜原

往く川の 過ぎにし人の 手折らねば うらぶれ立てり 三輪の檜原は

71119 柿本人麻呂
檜原がうらぶれて見える、愛着のある人の死を思う人麻呂であろうか。巻向の車谷に山川が流れている。
14日 穴師の山

纏向(まきむく)の (あなし)師の山に 雲居つつ 雨は降れども濡れつつぞ来し

123126 作者未詳
山の上の雲の流れを見つつ、小雨に濡れて女に逢いに来たのか。
123125「ひさかたの 雨の降る日を わが(かど)に 蓑笠(みのかさ)着ずて 来る人や誰」と問答風である。
15日 巻向の川音

ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の 川音(かわと)高しも

嵐かも()

71101 柿本人麻呂
調べが絶妙、夜が深々と更ける、山から吹き下す風、川音も急に高くなった瞬間が彷彿とする。
16日 弓月が嶽

あしひきの 山川の瀬の ()るなべに 弓月(ゆつき)(たけ)に 雲立ち渡る

71088 柿本人麻呂

とても好きな歌、瀬の音の高鳴りに、ふと見上げれば弓月が嶽に雲の立ち流れるさまは絵のようだ。
17日 石上(いそのかみ)

石上 布留(ふる)神杉(かむすぎ) (かむ)さびし 恋をもわれは 更にするかも

112417 柿本人麻呂
霊剣、布都(ふつ)の御魂を祭る、古代大和朝廷の宝物埋蔵あり、神道の祖・物部氏の神社。畏怖と懐古の心が湧く。
18日 布留川

石上(いそのかみ) 布留(ふる)の高橋 高高に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける

122997 作者未詳
女の所へ通う夜の気持を歌ったもの、高揚した思いがあるではないか。
19日 櫟本(いちのもと)

草枕 旅のやどりに ()(つま)か 国忘れたる 家待たなくに

3426 柿本人麻呂
香具山のほとりで行き倒れを見ての感慨、人麻呂も石見で客死し、妻はさぞ帰りを待っているのだろうと自分の運命を歌った。「鴨山の岩根しまける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ」
20日 剣の池

御佩(みはかし)を 剣の池の 蓮葉(はちすは)に (たま)れる水の 行方無み わがする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寝そと 母(きこ)せども わが(こころ) 清隅(きよすみ)の池の 池の底 われは忘れじ ただに逢ふまでに 

133289 作者未詳
池の蓮の葉にたまっている水の行くへもないように、途方にくれている時、逢うと言ってくれたあなたと、共寝してはいけないと母は申しますが、私の心は清隅の池の底のように深く貴方を思い忘れません。
21日 (かる)

(あま)飛ぶや 軽の路は 吾妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見ましく()れど 止まず行かば 人目を多み 数多(まね)く行かば 人知りぬべし・・わが恋ふる 千重の一重も 慰むる (こころ)もありやと 吾妹子が 止まず出で見し 軽の市に わが立ち聞けば 玉襷(たまたすき) 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞えず 玉桙(たまほこ)の 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべを無み 妹が名()びて 袖ぞ振りつる

2207 柿本人麻呂

恋する人の訃報を得て、幻影を追い軽の市を彷徨う人麻呂。
22日 (ひくま)隈川

()の隈 檜の隈川の 瀬を早み 君が手取らば (こと)寄せむかも

71109 作者未詳
瀬が早くて流され、貴方が手を握ったら、噂を立てられるかしらと甘く言ってみたい、若い男女の声がセセラギと共に聞こえるようだ。
23日 檜隈(ひのくまの)大内(おおち)

やすみしし わが大君の 夕されば 見し給ふらし 明けくれば 問ひ給ふらし 神丘(かむおか)の 山の黄葉(もみぢ)を 今日もかも 問ひ給はまし 明日もかも 見し給はまし その山を ふりさけ見つつ 夕されば あやに悲しみ 明けくれば うらさび暮し 荒栲(あらたえ)の 衣の袖は ()る時もなし

2159 持統天皇
天武・持統の両天皇の合葬陵。壬申の乱の時、野を越え山を越える苦労の両天皇、深沈とした大器量人の持統天皇の力が大きかったと言われる。天武崩御の折の持統天皇の格調高き調べの挽歌である。「背の君たる天皇が朝夕ご覧になるだろう飛鳥の神岡の紅葉を、もしご在世なら今日も明日もお尋ねになるだろうに、その山を今一人で眺めねばならない悲しさ、とりとめなさ、ああ、衣の袖は乾くこともない。
24日 文武天皇陵

み吉野の 山のあらしの 寒けくに はたや今夜も わが独り寝む

174 文武天皇

文武天皇とは軽皇子、天武と持統天皇の間に生まれた草壁皇子の子。藤原不比等の娘の宮子を夫人として、後の聖武天皇となる(おびと)皇子を生む。

25日 橘寺 橘の 寺の長屋に わが率宿(いね)し 童女(うない)放髪(はなり)は 髪あげつらむか 163822 作者未詳
あの、おかっぱの少女は、髪をあげて、すっかり大人になつただろうか。橘寺は聖徳太子誕生の地。
26日 明日香川

明日香川 瀬々に玉藻は 生ひたれど しがらみあれば 靡きあはなくに

71380 作者未詳
恋のしがらみと、明日香川の藻の靡くさま。「明日香川 瀬々の玉藻の うち靡き 
(こころ)は妹に 寄りにけるかも」(133267)
27日 大原の里

わが里に 大雪降れり 大原の ()りにし里に ふらまくは(のち) 
(2103 天武天皇)

わが岡の おかみに言ひて ふらしめし 雪のくだけし そこに散りけむ
(2104藤原夫人(天武のさん)

天皇には皇后、妃二人、夫人三人、嬪四人ある。皇后と妃は皇族に限る。あの藤原鎌足の娘、氷上娘()と五百重娘()は夫人。これは、浄御原宮で天皇がたいした雪でもないのに大雪と言い「古ぼけた大原の里に降るのは後だよ」とからかうと夫人は「うちの雨雪の神様にいいつけて降らせた雪のとばっちりがそちらに散ったのでしょ」との会話である。
28日 高家

ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手の 高屋の上にたなびくまでに

91706 舎人(とねりの)皇子(みこ)
山腹にある高家の村、すうーと、夜霧のたなびく景観。
29日 飛鳥(あすかの)浄御原(きよみはら)

大君は 神にしませば 赤駒の はらばふ田井を都となしつ

194260 大伴御行
作者は壬申の乱に戦功のあった人、「大君は神にしませば」の語の始まり。大海人皇子が吉野を出発し、
723日、近江朝廷を壊滅させた壬申の乱、12月衆望をにない浄御原宮を開いた。
30日 雷丘(いかづちのおか)

大君は 神にしませば 天雲(あまくも)の 雷の上に (いほ)らせるかも

32235 柿本人麻呂
持統天皇と言われる、実際は小さい丘である。壬申の乱後、天皇への絶対的な礼賛の思いの表現。
31日 甘橿(あまかしの)

玉たすき 畝火の山の橿原の 日知(ひじり)の御世ゆ ()れましし 神のことごと (つが)の木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを・・・

129 柿本人麻呂
ここから見えるのは、悲劇の皇子の大津皇子の二上山雄山、秀麗な畝傍山、孝元天皇の剣の池。日知の御世とは神武天皇、古代の中心が全て見える岡・甘橿である。