日本、あれやこれや その23 国字(和製漢字)            

拓殖大学 日本文化研究所長 井尻千男氏の論文 
()井尻論文は和製漢語とあるが私は国字と訂正して記載した。

平成18年3月

 1日 国字
(和製漢字)

明治時代後半、中国から大挙して日本に来た中国人留学生はわが国で何を学んだか。最大の関心事が明治の維新革命の長足の発展の秘密を探ること

にあったことは疑いようのないことだ。同時に彼らは日本を通じて西洋を学んでいたともいえるのである。わが国の知識人の類いまれなる翻訳能力によって西洋文明と諸学問を摂取した。
 2日

よく言われる例が、「中華人民共和国」である。「人民」という言葉も「共和国」という言葉も国字であって、中国古来の

漢語ではない。そもそも国名をつけるに際して、その前提となる「国家」と言う語も国字なのである。
 3日

つまり、中国古来の漢語は「中華思想」の中華だけだつたのだが実はその「思想」なる語も日本人の創案国字なのである。日本人の造語能力には驚くべきものがある。一説によると「明治時代の

最初の20年間で20万語もの新単語が英語、独語、仏語などの対訳語として作られたとされる。もちろんそれらの多くは、日本や漢字の故国中国には存在しない概念ばかりであった。
(黄文雄著、大日本帝国の真実)
 4日

かりに20万語がオーバーな数字だとして、その10パーセントの二万語でも凄いことである。

そしてもう一つ確認しておくべきことは、その訳語が極めて的確であり、漢字の本家の中国人においても、その訳語を越えられなかったということだ。
 5日

例えば、日本の書家は古より書聖・王義之の「蘭亭叙」を最高の教本として臨書してきた。

江戸時代の知識層はこぞつて四書五経(四書は大学・中庸・論語・孟子)(五経は易経・書経・詩経・礼記・春秋)を熟読し諳んじてきた。
 6日

然し、一部の通辞(通訳)を除いて、中国語で音読したわけではない。日本式の訓読で熟読し諳んじたのである。

つまり日本人にとって漢字は常に表意文字であり、意味であり、その語源を尋ねることが学問であった。
 7日

そういう学問の伝統があったから、ヨーロッパの諸言語と出合った時も、発音の正確さを期すよりも、まずその意味を尋ね、それに最適な漢字を見つけ出し、それを組み合わせた。

そもそも日本人にとっての外国語の習得はコミュニケーションの手段であるというよりも、その言語の意味体系を考えることだつたと言えるだろう。
 8日

アジアの漢字文化圏は広かったが、ヨーロッパ諸国に興った近代の学問を前にして、明治の日本人は漢字の造語能力をフル

に発揮して最適の熟語を考案した。中国の留学生が日本にやつてきて、最も驚いたのはそのことだつたのではないか。
 9日

もし訳語が漢字の本家の中国人から見て不的確であれば、彼らは彼らなりの造語をしただろうが、そういう事例は極めて少なかったとされている。

「実際今日の中国語も、日常の生活用語から政治、制度、経済、法律、自然科学、医学、教育、文化の用語に至るまで、日本語からの「借り物」の単語で満ち溢れている。中国人の近代生活は日本語の上に成り立ち、営まれていると言っていい。(黄文雄上述書)

10日

黄氏が列挙している言葉からほんの一部を引用する。

解放、改革、闘争、運動、進歩、民主、思想、同志、理論、階級、支配、批評、計画、国際、学校、学生、伝統、侵略、意識、現実、進化、理想、常識・・。
11日

中国式の「式」、優越感の「感」、新型の「型」、可能性の「性」、出発点の「点」、

文学界の「界」、想像力の「力」価値観の「観」などである。
12日

中国人の訳語が消滅して、日本人の訳語になつた例も少なくない。例えば、エコノミックスを「計学」と訳したが、それが廃れて日本式の「経済学」となり、

フィロソフィーを「理学」とか「智学」と訳したが、結局日本式の「哲学」となり、ソシオロジーを「群学」と訳したが、これまた日本式の「社会科学」になつた。
13日

日本人と中国人の翻訳能力、造語能力の差について黄文雄氏は次のように語っている。

「日本人の「造語」と中国の「借用語」の差は、異文化摂取の姿勢に於ける、融通無碍な日本人と自国文化に固執する中国との差である。」
14日

続いて言う、「西洋文化を自分の血肉にしようとした日本人と、「中体西用」という傲慢で安易な中国人の姿勢の現われかもしれない」と。

中国の若者が日本に留学して、日本人の翻訳能力ら通じて「近代」を学ぶことと、欧米に留学して適切な漢語訳を得ないままに『近代』を考えることの差は甚大であろう。
15日

日本留学組は、沢山の日本人の英知の恩恵を受けて「近代」を考えられるが、欧米留学組はその恩

恵がなく、本人の能力以上のものは得られない。その好例が孫文であり、その息子の孫科ではないのか。
16日

或いは財閥宋家の三姉妹と宋子文を挙げてもいいだろう。みなアメリカ留学組であり、

の発想と行動は中国現実とはなはだ乖離していた。中国の改革は米国流のデモクラシーではどうにもならないのである。
17日

それはともあれ、日本に留学した若者たちは、明治の維新革命、天皇と皇軍の関係、中央集権国家の確立と法体系の整備、

それに赫々たる戦果をおさめた武士道など日本固有の近代を学ぶと同時に、日本で刊行された翻訳書を読むことにより、西洋の近代を学んだのである。
18日

さきに列挙した和製漢語からも想像がつくように、日本語なくしては「革命」も「近代化」も考えられなかったと言っていいだろう。

そもそも「辛亥革命」の「革命」という観念にしても、中国古来の「革命」ではなく、レボリューションの訳語として「革命」という語を当てたのは日本人だった。
19日

政治、経済、社会、文化、歴史を考えるに際して、日本人と中国人留学生が共通のキーワードを持ったということは、思考のプロセスを共有することである。

このことを重視すれば、中国の留学生たちが、例えば「平家物語」を読んだ時に,シナ大陸における王朝の興亡史をどう考えたかも、凡その所想像できる。
20日

特に辛亥革命後の、いつ果てるともしれない乱世を憂える青年が「平家物語」を読んだとしたら、何をどう考えるか。

「三種の神器」に何を想像するか。壇ノ浦の段をどう読むか。そして危うくつながつた万世一系の天皇という存在に何を思うか。
21日

そして中国大陸のおける易姓革命の歴史と、明治という時代に行われた復古革命の根本的な差異についてどう考えるか。

易姓革命は徹底した実力主義である。覇権を握る者が出現するまで百年でも二百年でも乱世が続くとせねばならない。
22日

そして乱世を支配するのは、ぞっとするようなニヒリズムである。辛亥革命後の中国からの留学生はそのニヒリズムを胸にしまって日本にやってき

たら相違ないのだが、この国で見たものはその正反対の維新革命だつたのである。日本にあって中国にないものは何か。多くの留学生はその事を思案しながら学んだ。
23日

日本史を学び、明治維新を学び、シナ大陸における皇帝と日本国の天皇の根本的違いについて考えた筈である。

そして、日本史を貫流する権力の「正統性」を保証するのが、その天皇にほかならず、それが実力主義を超越していることに気づくのに、そう時間はかからなかったのである。
24日 明治の国字 理学・物質・元素・分子・引力・電気・主観・客観・定義・命題・前提 経済・文明・交通・哲学・手続き・引揚・鉛筆・演説・会話・計画・原則・侵略・危機・情報
25日 明治の国字

基準、基地、石油、現金、支配、国際、代表、

業務、警察、伝統、背景、論文、建築、作用、意識、現実、
26日 明治の国字 理想、促進、体操、展覧会、農作物、図書館、単行本、高利貸、生産手段 ・・式、優越感の感、新型の型、必要性の性、出発点の点、
27日 明治の国字 文学界の界、想像力の力、生産率の率、客観の観 屯、糎、耗、哩、入口、出口、市場、広場
28日 明治の国字 手続、場合、見習、大型、但書、星座名、倶楽部 瓦斯、浪漫、混擬土、関与、由干、認為、視為、
29日 明治の国字 演繹・帰納・郵便・銀行・科学・概念・思想 環境・化学・信用・書道・華道・武道・王道・人道・道場
30日 明治の国字 学校、学生、保健、出版 常識、進化、工業、観念
31日 明治の国字 社会・印象。、電波、 海老・海女・陽炎・狼煙・大蛇・火燵。・唯物論・唯心論