日本、あれやこれや E
                    日本の原理1.日本の神様

 1日

はじめに

1. 私は「日本の原理」という言葉を屡々使う。他所で聞かないので、何であろうかと思う人々が多いようだ。去る4月出版した著作「人類最高の良いこと」は副題が「日本の原理が地球を救う」である。明日から所見を述べる。
 2日 2.
私の言う、「日本の原理」とは、日本文明のルーツというか、日本文化・歴史、伝統等、要するに日本民族の根底を貫いて流れて、意識、無意識を問わず日本人を支配しているものを指す。端的に一口で表現しがたいのも、日本的特徴であある。
 3日 3. それらの基底にあるのが神道である。これを抜きにして日本民族はありえない。それはこの風土に縄文時代から延々、脈々と今日まで、我々の血となり肉となり、精神の深奥に生きて、日本人を育て上げているものである。
 4日 4.
日本の神様と西洋のゴッドとは全く違うとは私が再三指摘し多くの方々の啓蒙に努めてきたところである。本論ではその根源に触れる。
 5日 5.

その日本の神様の持つ思想・原理が地球を救う原理であることを解明したい。日本神道再発見である。戦後教育で忘我の状態にある戦後世代に、我々の先祖が二千年間培ってきた神道がなぜ21世紀の人類・地球を救えるのかを説明したい。「日本の根本原理は神道なのである」。神道は平和共存そのもので世界に誇り得るものである理由を解明して行く。

 6日 日本神道の原理 「緑と水を崇める」
日本の神様は「緑と水」を崇め大切にする。現在、地球規模で、人口激増の為、大規模開発のため、深刻な水不足、排ガスによる温暖化が深刻化している。学者によるとあと70年が地球の命という人さえある。中国の黄河は干上がり、米国、インド、中央アジア等、世界的に地下水が枯渇し15米程度低下している。アルタイ湖は数年以内に完全に干上がるという。そこで、「緑と水」を大切にする神道が「生命」を救う原理であり信仰だと外国では気づいてきたのである。森の消滅は文化の消滅であることは歴史が証明している。
 7日 世界的歴史学者アーノルド・トインビーの発言をご紹介しよう。トインビーは神道を高く評価し、「日本の活路」で言った。「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、その見返りとして心理的ストレスと絶えざる緊張にさらされている。それは産業革命がもたらすまぬがれない代価である。ところが神道は、人間とそのほかの自然との調和のとれた協調関係を説いている。日本国民は、自然の汚染によってすでに報いを受け始めているが、実は神道の中にそうした災いに対する祖先伝来の救済策を持っているのである。」物質文明が避けられない災いを救う宗教であると言っているのだ。
 8日 又、ドイツの植物学者ヒューセン博士は「日本人が生活環境に郷土固有の神社林を保護育成してきたこと、また山岳地帯には祖先伝来の原生林がまだ存在することとあいまって、日本民族の優秀な資質育成に大きな効果を果たしてきたことからも、現代人はこれらを大切に守って子孫に伝える責任がある。ヨーロッパ諸国では、放牧により早くから原生林を失い、その弊害を補うために人口植林に努めている。日本の社叢などを見て祖先の賢明さに敬意を表する」と神道の鎮守の森との関係で味わうべき言葉を残している。
 9日

「植福の思想」
@植林

日本は植林技術では長い歴史を有する先進国である。多くの日本人が海外で植林事業に貢献している。中国とか韓国にはこれが無い。だから砂漠と禿山となっている。実は、その象徴的なものが、日本の神様の総本山というべき伊勢神宮の遷宮と関係がある。過去千数百年間20年ごとに遷宮してきたのだが、現在300年未来の遷宮用檜・杉の植林を行っている。悠久の古代より連綿として続けているこの事実こそ、「緑と水と日本神様」であり、世界市民が熟知すべきだし、日本人は大いに誇っていい大文明なのである。

10日 鎮守の森
ー「緑と水の象徴」

日本の神様は縄文時代から、祠を含めて多数ある。901年の平安初期、延喜式神名帳には約8万の神社が記載されている。これは各県に平均約2千の神社や祠があるということである。その神社は森林の中にある。この森が一つの村落の中心となり、緑と水と豊穣への感謝と礼拝の場となっている。自然を愛する我々の資質は先天的なもので無意識ながら血となり肉となって流れている。(鎮守の森―潮流寄稿ご参考)これは21世紀の世界にとり、極めて示唆のある、価値のある、学ぶべきもので、これこそが日本文明の日本文明たる所以である。我々はこれを特筆大書して世界に訴えてよく、日本人は誇りにしてよいものなのである。

11日 地鎮祭・起工式・竣工式 その土地に鎮まる神々に守護を祈り感謝する為に、お祓いする。自然への感謝である。大自然に対する、この敬虔な、謙虚な姿勢が地球に住む人間には必要である。 中国のあの長江の水を北京に運河で回遊するなど、地球の動脈を自ら破壊するもので、中国は、否、地球人の生態系をすら破壊してしまうであろう。その影響の最大の被害国は、東方にある日本であろう。
12日 「水と緑は命を支える存在」 日本古来の神道は、鎮守の森に見るように「緑の自然」を大切にしてきている。弥生時代から二千年以上である。

このテーマこそ人類を救うのだと全世界的に認識しなくては明日の人類は在り得ない。故に、神道こそ地球と人類を救う宗教にまでアウフヘーベンさせなくてはならぬ。それを日本人最高の矜持として、世界に向けて発信し人類・地球の救済に乗り出して良い価値あるものであると確信する。

13日

森林の喪失は文明の衰亡。

よい事例が中近東である。ナイル川の流域に繁茂した豊かな森林は、古代エジプト文明を築き上げたが、やがて伐採が進み砂漠化し、遂にあのエジプト文明は崩壊した。

黄河文明の延長にある今日の中国文明も、同様な結果を招くであろう。ヨーロッパも早くから森林伐採したが今日は植林に努めている。
14日 昭和天皇と緑

昭和天皇の誕生日は「緑の日」。昭和天皇は国土緑化の先頭に立たれたお方であった。

「人間や生き物に欠かせない水は、山や木が作ってくれます」「水は緑を育て、緑は水を作ってくれます」と語られ、地球・人類のために希求されたのである。

鉢の上に秋田の杉を植えつつも国の守りになれと祈りぬ
−昭和
43年田沢湖畔の植樹祭

人びとと植えたる苗の育つ時菰野の郷に緑満つらむ
−昭和
55年三重県菰野植樹祭

須崎なる岡を流るる桜川 水清くして海に入るなり
−昭和
61年御題「水」歌会始

日本の神道が求めてきた信仰の根幹は、この緑と水なのである。昭和天皇は戦後「この国土を緑の山河に」と願われ、毎年「全国植樹祭」に臨席された。自ら植林を進め、国土緑化の先頭に立たれたのである。このような元首が世界にはあるまい。
更に、農耕民族代表として田植えまで例年されるのだから。天皇がいかに平和な存在であるかが理解されよう。
15日 神様のお供え

日本の神様へのお供えは、「水・米・塩」の三つ、これに緑の「榊」を飾り神を祭る。人体の七割は水であり、水は生命そのものである。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの一神教のゴッドは、血の滴る生贄を好まれるようだ。キリストでも磔にされ血の滴る十字架を礼拝する。根底から物の考え方が違い日本の神様は共存の思想であり平和そのものである。
16日 「水と塩は生命そのもの」 水は命であると共に、あらゆるものを流し清める浄化力を持つ。「禊―みそぎ」をしたり、「千垢離」「万垢離」と言い、みそぎをする、滝に打たれる。水はあらゆるものを産む力を持つ。

古代には雨乞いを天皇が祈願するなど、日本人、特に神道は特に「水」に強い気持ちを抱いている。次に「塩」、糖分より命に不可欠な塩、塩を撒いて万物を祓い清める。日本の神様のお供えは清潔そのものだ。

17日

「榊」

榊を神前に飾り感謝の意を表す。 榊は森林・緑のシンボルである。緑は人間に命有らしめる存在である。
18日 山は「かんなびー神奈備」 森林が繁茂し水を蓄える「山」を日本人は神と崇めてきた。樹木の生い茂る「森」を神としている。神社の本来は神殿ではなく、「神の森」であろう。樹木そのものを神木・神籬―ひもろぎーとして祭り、枝葉を御幣―みてぐらー・玉串として崇め神に供えてきた。

要するに、神道の根幹は「水は緑を育て、緑は水を生む」と昭和天皇の言われた通りなのである。そして、皇室は二千年に亘りそれを実践しておられる。榊は常緑樹であり、緑がいつまでもとの願いのシンボルである。これは人類の普遍的な原理で世界に冠たる日本の誇りである。

19日

先祖の願い

水・米・塩・榊() 「絶えず、この水・米・塩・の三つと榊()を大切にしなさいと言うのが祖先の願いでもあり遺言である。
20日 「むすび信仰」

むすびとは産霊である。「物を生み成し、造り成す」というのが「むすび」の信仰、生産する力、生殖する力、結合―結びの力に対する信仰で、日本の製造業の心理を深く支配している。働くことを苦役とする欧米とか中近東と違い、働くことに喜びを見出す。

イラクで番匠隊長が部下と共に働く姿に感動したイラク人、これは欧米には在りえない。神話伝説は現代に生きている。日本神話にも「神人共働」が見られる。天照大神も天皇も働く、外国にはこのような働く神はいない。

21日

自然を神と仰ぐ万葉集から

@茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の樹の歳の知らなく
A常盤なる松の緑も春来れば今ひとしおの色まさりける

これは鎮守の森の事と思われる、古代から営々と緑豊かな森を守り続けている。古来から日本人は自然を神と仰ぎ畏敬してきている。

22日 かんなび 「神奈備山」とか「神体山」と、緑の樹林の繁茂する森や山を、神々の鎮まる山、或いはご神体として崇めた。

要するに自然賛美の手法である。樹林を神々が降臨し依り給うと見て「依代―よりしろ」あるいは「神籬−ひもろぎ」として神聖視してきた。山には山の神が、木には木の神が宿るとみた。

23日

しめなわ

かんなびの山・森・樹・を神体山とし、青葉の茂る樹木を神籬として、枝葉を玉串として神に捧げた。

特別の大木・老樹は御神木として「注連縄―しめなわ」を張り巡らして敬う。
24日

鎮守・氏神・
産土神

鎮守様は、村や寺院・荘園など、土地や建物を守護する神。氏神は氏族の祖先神で源氏の石清水八幡宮は有名。氏族制度崩壊後は,地域社会の守り神も氏神と言うようになった。 産土神は自分の生まれた土地の神。産−うぶーは出産、土―すなーは大地を意味する。全く日本の神様は大自然そのものである。
25日 氏子―大自然を守る運動

全国各地の鎮守の森が神社と氏子たちにより保護・育成されてきた。みんなで大自然を守る運動である。好事例@日光東照宮の杉並木は日本の誇り。A大分県・白髯神社の神社林の威容。B福井・鳥羽町の八幡神社の杜、社殿を取り囲む杜の神さびた風格。C明治神宮の森は大正九年、明治天皇を偲び全国からの献納献木された貴重な東京都心のオアシス。

このように、日本の神様は、日本の原理の根幹であり、自然と共に生きる日本人の素晴らしい知恵である。これを忌避するとは反自然の自殺行為である。イデオロギーとは無関係なのである。
26日 神饌 古来から日本人は、「初物」を尊び、初物を食べると75日長生きするとの言葉も残っている。そのお初物を神様に供えたのである。季節の物を神前に供えるのは、自然の恩恵を神々に感謝するという神道の思想そのものである。

神饌は、神様の食物であり、新鮮なものほど生き生きとした生命力と若い命があり、それを神が喜び給うのである。収穫したばかりの、新米・魚介類・野菜類が選ばれるのは、生命力に満ち溢れているからだ。日本料理の特徴は、材料も、食器も、盛り付けも、四季の感覚、自然の香りの表現に工夫する。神饌と相通ずるのである。

27日

直会―なおらい

お祭りや神事が終わると、直会をする。食事を共にする。心は、神と人との共食である。慰労宴のように考えているのは浅薄である。本来は「神人共食」である。嘗−なーむり会、が訛った言葉である。

神と同じものを分かち食べることにより、神の新しい魂、強い霊力が人々に与えられるとされた。同じ火で煮炊きした食物を、神や祖霊と共食することにより、神と人との間に目には見えない結縁が生じ、祖霊の加護が受けられると信仰されたのである。

28日 神酒・神饌・洗米 祈祷とかお祭りに頂くこれらのものは前述の意味がある。これは、天皇家の交代時にされる、大嘗祭も同様なこと。伊勢神宮は千年以上、毎日、木摺りで火を起こしも昔の手法で栽培した米・野菜を神饌としている。天皇も大嘗祭にはそうされて、祖霊と一心同体になられて、祖霊、神の魂を身につけられて世襲が完了するのと同様な行為が神饌のこれらである。

これは出雲大社の世襲時も亀太夫神事があるが同様な趣旨である。こうして、連綿と祖霊の精神即ち霊魂が伝えられて行く。日本人の接待好きはここに原点がある。良好な人間関係の維持に大きな役割があると私は見る。

29日 神とは 古事記

さて、すべて神というものは、古くからの書に書かれている天地の諸々の神たちを含めて、それを祭っている社に坐す御霊も神といい、また人はもちろんのこと、鳥獣木草のたぐい海山など、そのほかなんでも、世の常ならずすぐれていて徳のある、可畏−かしこーきものを神という。

30日

神道の理解には神話を

神社に祭られている神々の殆どは神話に登場する神である。祭りの多くがそれらの神々の関する神事である。 日本には体系的な神々の記録が二種類ある。712年成立の「古事記」と720年成立の「日本書紀」である。この二つを「記紀」と言う。
31日

「記紀」

記紀には単なる神話と違い、一つの体系がある。

その記録には隠された歴史の真実が多く含まれている。単なる神話と捉えてはならない。