日本、あれやこれや J 

平成17年3月

ドナルド・キーンの言葉1日から8日まで。

 1日 日本製陶器

日本の美しい伊万里焼の陶器とか磁器がヨーロッパに入って裕福な人達の生活をかなり変えた。

それまでのヨーロッパでは、金属のものが多く陶器でも物が余り良くなかった。

 2日 文化水準比較

室町末期、桃山時代の日本の文化水準は、ヨーロッパより高かった。

その後は産業革命もあり、自然科学が発達したが鎖国をしており明治時代に入れ苦労した。
 3日 19世紀の服装比較

19世紀の半ば、オランダでは農民に夏服と冬服の区別がなく一年中同じ物を着ていた。

日本は夏・冬別だし、何かがあればちゃんとした服装をしていた。当時のオランダ人は日本をとても清潔で羨ましいと感じた。
 4日 出島

江戸時代に鎖国していた当時、唯一の貿易窓口である。長崎港にある。

オランダ人のみ、ここを通じて交易していた。そこのオランダ商館に勤務していたオランダ人医者曰く日本の素晴らしさは世界的に認められていたと。
 5日 ジャパン

ジャパンとは漆器のことである。陶器はチャイナである。ヨーロッパでは愛好されていた。

漆器は丹念に塗らなくてはならぬ、20回くらいでは剥げるという。
 6日 鎖国とケンペル発言

ドイツ人ケンペルは鎖国は非常にいい。日本は何も欠けているものはない。すべてのものがあるから鎖国がいいと。

ヨーロッパと異なり日本には戦争がないから素晴らしいと。ヨーロッパは百年戦争とか絶えず戦争があった。
 7日 シチューを食べた秀吉

太閤秀吉はビーフシチューを食べていた。室町時代末期や江戸時代初期、日本人は喜んでワインも飲んでいた。平安朝にはチーズも食べていた日本人。

肉もワイン食べないし飲まないのは江戸時代のことである。
 8日 生活水準

当時のヨーロッパと比較して見ると日本の生活のほうが高かったと思う。黒船のハリスが書いている、健康に就いて、日本人は魚は一月に一度しか食べない。

現在と比べると水準は低いがヨーロッパと比較すると、多分上だと思う。日本が当時飢えて貧しいという記録はない。
 9日 樋口一葉と美学

彼女は大変苦しい生活をしていた。然し、自分は士族だと自負していた。

樋口の父親は侍の身分を買った人で武士ではなかった。それでも士族との自負があり、それは貧しさに耐えるという美学でもあった。
10日 読書の国際比較

近世日本では、ヨーロッパのどの国の人よりも本を読む人が多かった。

ヨーロッパの場合、26の文字しかないのに教育はそれほど進んでいなかった。おそらく日本の読書人口は世界で一番多かったと思われる。

11日 船頭と読み書きそろばん

読み書き・ソロバンを習わないと船頭さんにはなれないぞ、ということがあった。

シベリアの日本人学校で、船頭がそういう本を持っていた。ロシア人は驚いた。要するに字が読めた。他国にはない、ヨーロッパすらなかった。
12日 浮世絵

日本の近世美術は素晴らしい、浮世絵とかその系統の美術は非常にきれい。

浮世絵は西洋に大変な影響を及ぼした。ゴッホなどは明白に浮世絵を真似ている。

13日 二人称

日本には二人称がない。言わなくていい感じ。相手により区別して使う言葉が全部が違う。

英語は全てYOUを使う。
14日 汎神論と絶対の観念

絶対はキリスト教、イスラム教等の神である。超越者であり、絶対者であり創始者である。

日本には絶対神はない。汎神論,八百万の神の世界である。
15日 日欧文化比較

近世の初め、徳川初期、ヨーロッパ人は日本の文化水準は、あるゆる点でヨーロッパより遥かに上だったと思う。

特に日本が清潔であることにはヨーロッパ人は驚きました。日本の家の中を見てどれほどか、驚いたでしょう、どんなにか文明的だと思ったことでしよう。

16日 神道の清潔

神道は教義も何もないのですが、「清潔」ということだけが教義と言って差し支えない、その影響かもしれない。

当時のヨーロッパでは、家の中の食堂では、床の上に葦が敷いてあり、食べながら残り物を捨てるが葦があると見えない。犬を呼んで食べさせていた。
17日 日本の詩歌

日本の詩歌で最高のものは、和歌でもなく、連歌、俳句、新体詩でもなく謡曲だと思っている。謡曲は、日本語の機能を存分に発揮した詩である。そして謡曲弐百何十番の中で「松風」は最も優れている。私は読むたびに感動する。

私ひとりがそう思うのではない。コロンビア大学で教え始めてから少なくとも七回か八回、学生とともに「松風」を読んだが、感激しない学生は、いままでに一人もいない。異口同音に「日本語を習っておいて、よかった」という。

18日 謡曲「松風」から

月はひとつ、影はふたつ、満つ潮の、夜の車に月を載せて、憂としも思わぬ、潮路かなや

音のひびきが、なんとも言えないのである。在原行平を慕う海女の恋は、あわれと言うもおろかなり。完璧な文学作品があるとすれば、「松風」こそそれだとは司馬遼太郎の言葉でもある。
19日 仏教

仏教は日本で生れていない。しかし、日本人は、現実に考えうる限りの形で仏教を日本化した。

鎌倉仏教―親鸞の言葉とか、日蓮上人の存在は一番のよい例でしょう。どちらもお釈迦さんと関係のない人です。
20日 空海 伝教大師の最澄は秀才、空海は天才ですね。空海は人間のいや味が濃厚だが、あんな天才は世界歴史の中にもいないと思う。

空海は、あんな不自由な言葉遣い、駢文―べんぶんー、四六駢儷体―しろくべんれいたいーを使い、複雑な思想を明確に表現したことは偉大である。真言というのは凄いなと感嘆した。

21日 日本人の肌 16世紀のポルトガル人宣教師の書いた手紙を読んだが、日本の女の人はヨーロッパより肌が白いとか言っている。

19世紀になり国家主義の観念が発達し人種差別が起きたが、ポルトガル人はヨーロッパより日本はきれいだ、もっと清潔だと書いている。

22日 日本的とは
陶器

柿右衛門のようなものじゃなくて、志野とか、織部とか、そういうものが一番日本的であると思う。

ある意味で非常に粗末に見えるようなもの、勿論わざと粗末さを出す為に努力したものだが、伊万里焼とか柿右衛門より日本的。
23日 日光東照宮

大変に金キラなデコラティブで、昔も、今も日本人の間では「日光見ない中は結構と言うな」の諺は、果たしてどんな意味ですかね。

司馬遼太郎、「実にガラが悪くて、あれはよくないです。」と。
・陽明門も矢張りいやなものでした。

24日 まこと 日本人独特の「まこと」或いは「まことの心」。

中国人には「まこと」が無いという証拠は余りないけれど、ともかく日本には中国にないものがある。

25日 アーネスト・サトー

幕末に横浜で英国公使館に勤めた23歳の男。日本の未来のピジョンを書く。西郷隆盛が懸命に読む。明治維新の原型になるようなエッセイ。

サトーは一大構想を持ち日本を動かした。サトーは明治維新は自分の作品だと思っていた。
26日 フェノロサ

明治初年は国宝クラスの美術品が売られている次代であった。

日本人に自分たちの大事な過去の美術の素晴らしさを教えた。
27日 英雄の無い国・日本

他のどんなつまらない国でも必ず一人くらいの英雄がいる。日本は非常に不思議な国である、英雄がいない。

これ程の歴史が長くて、世界の歴史にも寄与したこの国では、尊敬できる政治家と好きな政治家とは違うようだ。

28日 上方と江戸

江戸時代の伝統の匂いが残っているような人でしたら、それは職人とか商人で、侍的ではない。町人文化。

上方文化は侍的な文化だと思う。
29日 江戸時代

一般の日本人にいちばん親しみやすい時代は江戸時代だと思う。時代映画は殆ど幕末もの平安時代にものなんか極めて稀で、明治ものは近いだけに服装なんか滑稽に見える。

やはり、鎌倉でね平安でもなく、時代小説や映画の舞台は江戸時代、それも末期が喜ばれるように思う。

30日 日本人は原理に鈍感

日本には仏教がある、東南アジアは本当に仏教で出来上がっている。生活の仕方から、身動きから手足の上げ方まできめている。それがつまり仏教というもの。

仏教は日本に来たけど、建物は立派だが、それがみな美になってしまって、本当に宗教とか哲学になっていないんじゃないか。

31日