日本、あれやこれや M

平成17年6月

 1日

和魂漢才の原型

自主外交の序曲

聖徳太子が隋の煬帝、607年遣唐使の小野妹子に持たせた国書、「日出ズル処ノ天子、日没スル処ノ天子ニ書ヲ致ス、恙−ツツガーナキヤ・・・」。煬帝ハ之ヲ覧テ悦−ヨロコーバズ、と隋書にある。

東夷くらいに思う煬帝は返答なし。二度目の国書「東ノ天皇、敬―ツツシーミテ西ノ皇帝ニ白―モウース・・」どこまでも対等の姿勢を崩さない。それまでは朝鮮を介して朝貢の形をとつていた。

 2日

日本アイデンティティの原点

6世紀末から7世紀の始めに聖徳太子のような天才的哲人政治家が現れたことは日本歴史にとり極めて幸運であった。

その後、中国大陸にいかなる大勢力が現れようとも、国家としてアイデンティティがあやふやになることはなかった。

 3日

アメリカ人の投書

昭和天皇が米国訪問された時、アメリカの雑誌に特集が出た、それに対するアメリカ人の投書である。

「われわれは30年前に日本を破り天皇を人にした筈である。ところがその天皇は健在で、日本は世界一のスピードで産業を成長させ、世界一強い円を持っている。勝者であったイギリスは既に追いこされ、アメリカが追い越されるのも時間の問題である。そして当時の戦争に関係したヒットラーやムッソリーニが亡びたのは勿論のこととして、チャーチル、スターリン、ルーズベルト、トルーマンも既にない。然るに日本の天皇はアラスカでニクソンに迎えられ、ヨーロッパで歓迎される上に、戦争で失った沖縄まで返して貰った。天皇は本当にゴッドなのではなかろうか。」
―正統というものは、常にこのような不思議の連続を保つ。

 4日

天武天皇の命令

685年、伊勢神宮の式年遷宮を決められた。これにより持統天皇の年代に第一回式年遷宮が行われ、以来1200年間、それが廃らなかったのは世界の奇跡である。

また、天武天皇は仏教を厚く信じられ、諸国に金光明経や仁王経を講ぜしめたり、薬師寺を建立された天皇。685年に大和の法起寺に三重塔を完成させ全国の家ごとに仏壇を作って仏像を拝むように命じられた。

 5日

靖国神社

靖国に反対する人は日本の事を良く分かっていない無知の輩である。筋の通った日本の神社のカミは、日本人の先祖である。靖国神社も先祖乃至は血族の祈念に捧げられたものであり、参拝は、血のつながりという事実の確認行為が根底にある。

キリストとかマホメッドや釈迦を信ずるのは信仰である。事実と信仰はぶつかり合う必要はない。

 6日

君が代

原型は「古今集」905年にある。今と同じ形は「和漢朗詠集」1040年にある。

近代国家の歌詞としては、断然に世界最古のものである。

 7日

百万陀羅尼―世界最古の印刷物

陀羅尼とは「おまじない」である。称徳天皇の神護景雲4年、即ち宝亀元年770年、宿願されて三重の塔婆を百万基作らせ、近畿の十大寺に奉納された。

法隆寺に約4万基残っているが、それは印刷である。現存する世界最古の印刷物である。
 8日

政治的死刑のない国

平安時代の何百年かの間に、政治的理由で死刑になったものがないという。

ヨーロッパでは18世紀のイギリスを待たなくてはならないような素晴らしい文明状態が日本では早々と現れた。

 9日 古事記雑話 語り部による伝承を筆記したもの。口伝であるが、古代日本人の頭脳の明晰さは立証されている。 口伝であり、そのまま筆記するのに、漢字を用いながら漢字の意味に無関係に日本語に移す作業をした。これにより日本の古語はそのまま保存され、仮名というシラブル表記法の原型ができたのである
10日

日本書紀の編纂雑話

巻数は古事記の10倍の30巻、書紀法も堂々たる漢文。編集員が材料を集め、編集の総裁もいた。編年体、異説もあげる等、近代的である。

現代ですらこれ程の客観性への意欲を示していない国は沢山ある。一書に曰くなんて、韓国・中国など現代でも妄言の歴史書に近く後進的で著しく客観性に欠けている。

11日 万葉集の身近さ

神武天皇が御東征の時に歌われた「みつみつし 久米の子らが かきもとに 植えしはじかみ 口ひびく・・」など西暦紀元前660年、これが現代日本の高校生でも口ずさめる親近感、同様に万葉集などもOLが通勤電車の中で読んでいる。この歴史の連続性に気づき感謝しない理由が分からない。

この歴史の連続感はイギリスでは16世紀前後からしか有り得ない。

この事実だけでも日本は素晴らしい。

自分の国や歴史の素晴らしさに気づかない日本人は愚か。

12日 懐風藻 日本最初の詩集である。751年。漢詩集である 懐風の詩人でありながら万葉集の歌人もいる。日本語の地位の高いのは、和歌とか神に捧げる「祝詞」のお蔭である。
13日 和歌のない韓国 シナの文明を日本より強く受けた朝鮮には日本の和歌に相当するものがない。 文化は漢字に完全に支配し切られてしまったのである。自分たちの文字ハングルを持つのは15世紀の半ばである。しかも日本のように自然発生でなく、王様が作り国民に与えたものである。
14日 駘蕩たる男女共演の平安時代1 平安時代は武力は第二義、平和は既定のこと。 意識の底にあるのは「愛」と「美」(特に和歌)であった。
15日 百人一首から、周防内侍の歌
「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名にこそ惜しけれ」がある。
宮廷の女官で周防守・平継盛の娘であるが、ある春の夜に、多くの人達が夜明かしで物語りなどしていた。
16日 そのうち、周防内侍がものによりかかり、「枕もがな」(枕があればよいですのに)と言った。すると大納言忠家が御簾の間から腕を入れて「これを枕にどうぞ」と言った。 その時に、即座に作ったのが昨日引用した和歌
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名にこそ惜しけれ」である。
17日 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名にこそ惜しけれ」の意味は、春の夜の短夜のほんのつかの間にあなたの腕を借りたぐらいで、つまらない噂を立てられたんじゃ間に合わないわ」である。

忠家もだまって引っ込まない。直ちに歌で答える。

「契ありて 春の夜深き 手枕を いかがかひなき 夢になすべき」つまり「こういう縁があって手枕を貸すことになったのですから、絶対にこれきりにしませんよ」と言ったのである。隠し事ではない、勅撰歌集に堂々と掲載されている。この周防内侍は後に大和守義忠の妻となっている。駘蕩たる平安時代と言える。
18日

在原業平

伊勢物語の主人公でこの時代の代表的人物。平安文化の基調は「愛」とそして「歌」でもある 業平が幼い時の遊び友達の隣家の紀有常の娘に言った。「ちょっとお会いしない間に大きくなられましたね」、するとこの娘は、
19日 娘は答える。
くらべこし 振わけ髪も 肩すぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき
初恋の男に対する見事な答えである。ひたすらな情感を結晶させて歌いあげる洗練さ、これが日本の古典の感性の高さであり、教養書なのである
20日 理解に苦しむが・・ 伊勢物語からである。二条の后を盗みだした話。業平は藤原長良の娘に通っていたが今度は清和天皇の後宮として入内するというので盗み出して駆け落ちした。 しかしも間もなく捕まって取り戻される。未婚時代に駆け落ちした人が、後に天皇の後宮に入るし相手の男が死刑にならないのもおかしなものである。この二条の后は55歳の時(当時は老婆)坊さんと密通して彼は遠国に追放、后は位を失った、がすべて寛容なのである。
21日 源氏物語
雑話1.
小説とは散文で架空の事を扱った百n以上の作品という。この観点で源氏物語は世界最古である。 イギリスのウェーレーがこれを英訳した1923年、欧米の読者は、その規模の大きさ、描かれた、それまで夢にも見たことのない洗練された世界に圧倒されたのである。
22日 源氏物語
雑話2.
ドンキホーテ、デカメロン、ガルバンチュアとパンタグリュエルやトム・ジョーンズと比較しても源氏物語は数百年古いのである。 シナでも小説は「元」の末から「明」にかけてであるから、源氏物語よりざつと5百年遅い
23日 源氏物語
雑話3.
欧米でも女子が小説を書くのはラアフ・ベーンでも650年遅くジェーン・オースチンは800年遅い。 小説化として価値あるオースチンより大規模で、オースチンより洗練された世界を小説にした日本女性がいたことを欧米人は中々信じようとしない。
ドナルド・キーン氏は平安朝を「世界史上、最高の文明」と言っているのである。
24日 洗練された和歌1 しるべせよ 跡なき浪に 漕ぐ舟の 行方も知らぬ 八重の潮風」―歌の調べは絶妙である。 何の歌であろうか。
海の上に小舟がありそこに潮風が吹いてくる。叙景ではない、内景である。
25日 洗練された和歌2
新古今集は「恋」の部に編集している。恋という字も、愛の字もない、やるせないの悲しみの字もない。 西洋の詩が、この高さの洗練性を見せ始めたのは、19世紀のフランス象徴詩まで待たねばならないと言う。
26日 洗練された和歌3

藤原定家
駒とめて 袖打ちはらふ かげもなし佐野の渡りの 雪の夕暮れ」、世阿弥の謡曲「鉢木」に引用されている新古今集の歌である。 川の側で雪に降られ、しかも近くに家もないとは、生命に関する大事だが、苦しみの実感も見られない。絵画的である。事実の向うの純粋な詩の世界、個人の体験より普遍的な、詩の絶対境の理念が見られる。これは近代文学の理念と共通している。
27日 百人一首1
正月には日本人は駘蕩たる気分で百人一首をやる。子供が千年前の和歌の遊びをする。恋歌でも露骨でない和歌、感情教育に相応しいのである。

12世紀から13世紀のフランスの詩人ジャン・ルナールの詩と比較して見る。「夜ごと夢見るのは、あの女を 抱きしめ、また抱きしめられ、接吻すること。目がさめれば、類なき快楽の最中に 私は 抱擁から引き離される。こうして褥のなかでも爪ぐり尋ねるのは 私は焼き、燃えたたせる、あの女の美しい肉体。」
これでは欲情喚起の雑文に過ぎない、新古今の洗練さが分かる。

28日 百人一首2
ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ」待賢門院の歌。これは先のフランスの詩とほぼ同じ内容を女の側から歌ったものだが、同じ当時の上流階級でも、こけだけの洗練さの違いがある。 続いて「朝寝髪  われはけじらじ 美はしき 君が手枕 触れてしものを」、官能美が美しく高く昇華されている。
29日 物持ちのよい日本1. 空海は24才の時、華麗な駢儷体で「三教指帰」を書いた。これはシナでも作る人がなくなっていた。これを中国で書いて見せて驚嘆された。

空海の残した「文鏡秘府論」は現存する東洋最古の修辞学書であるがシナには残っておらずシナの学者にも珍重されていると言う。

30日 物持ちのよい日本2. 医心房、シナでは古代から房内術―セックスの事―が発達したが本は絶滅している。平安時代、医術で仕えていた丹波秦頼は、当時書写されていたのを纏めて「医心方」として30巻、円融天皇に奉呈した、永観2年、984年である。 これは隋・唐のシナの医書200部を引用したもので世界的文献である。清国の留学生が明治に出版されたものを購入して帰国した。