日本あれやこれやーその18

平成17年10月

 1日 日本文明の特質
「かんながらの道ー惟神の道」
神代の昔から、今日まで日本人の中に一貫して続く精神は、神道である。村の鎮守の森とお祭りは、民族の心のふるさと。日本人の住む所のその中心には必ず産土神―うぶすなーの氏神様が祀られている。これを社―やしろーと言い、全国に八万社も現存している。

その大部分には、宮司さんも、神主さんと言われる管理人はいない。無人のままでも、誰も神域を穢さない。集落の人が交代で数千年前から代々守り続けてきたものである。

 2日

仏教とかキリスト教となると、住職や牧師・神父がいなければ、廃寺として直ぐ潰れてしまうだろう。ここでも神道は他の宗教とは由来も内容も違う。

年一度のお祭りは、すべて神道の祭りで、他の宗教はこんなことはしない。日本から生まれた唯一の信仰である。
 3日

神道は、遠い遠い昔から日本人が守り続けてきた、神道が分からねば日本が分からないと言われる程、日本人の心の奥底に根を下してきた重要な文化現象である。

いまなお、多くの謎を秘めている不思議な宗教が神道である。
 4日

神道は「寛容の神」であるが、キリストとかイスラムとかユダヤ教は「束縛の神」である。

特定の教祖もいないし、教典も教団も宣教師もいない。近代宗教が具備すべきこの三条件がないのである。
 5日

明治になり欧米人の言う、欧米流の「宗教」の範疇には入らないのが神道である。明治になり「宗教」に相当する概念さえなかつたのである。英語の宗教の語源は、ラテン語のReligare からきたもので「結びつける」「しばりつける」という意味である。

アラブ世界の人々はイスラム教のアラーの神と聖典コーランを信じ、毎日5回聖地メッカに向かい敬虔な祈りを捧げなくてはなにぬ。民の行動は狂信的なまでに完全にアラーの神によって束縛されている。恐ろしいほどの束縛である。
 6日 日の本の道

キリスト教においても同様で「エホバの神のほかに何ものをも神としてはなにぬ、ひたすら信じるものは救われる」と説く。外形的にも内面的にも、唯一神にしっかりと束縛されているのであるる。

神道は、日本に仏教の伝来(538年)のずっと以前から存在してきた固有の信仰の総称で、その呼称は外来の宗教とは区別する必要から後に名づけられたものである。本来は民族が遠い神代から引き継いできた「かんながらの道―惟神の道」、別名「日の本の道」、或いは単に「古道」というべきものであった。日本に自然に生えた植物のようなものである。
 7日 日本の神様

それは、惟神の道は「自然と一体となる思想」で、自然をあるがままに受け止め、畏敬し、感謝し、自然に融けこもうとする考えである。

神道は他宗教のように聖人賢者が上から押し付け与えたものでなく、民族発生と同時に生まれた「民族の体質」「民族の志向性」がそのまま信仰になつたものである。
 8日 日本の神様との違い

他の宗教は、教祖を持ち、絶対の唯一神に絶対の価値を置く。それ以外を否定する排他性がある。

神道は極めて寛容性、包容性に富む。争うことはない。見よ、イスラムとキリストの戦いを。永遠に争いは止らない。
 9日 日本の神様との違い

神道は鳥居以外に門がない、玉垣以外に塀もない。誰にでも開かれたオープンな宗教である。境内は公園の役割もしているし社会にいつも開放されている。

キリスト教は教会は普段は玄関を閉ざしている。
10日 日本の神様

森の中に神殿があるのは神道だけである。森のある所に文明は興り、その森を食いつぶした時、その文明は滅んでいるのは歴史の通説である。

日本は、過去も現在も、国土は深い森に覆われて、愈々栄えている。それは日本人の根本信仰である神道が豊かな森との共生の思想だからである。
11日

日本の神様は必ず鎮守の森に鎮座しておられ。るキリスト教や回教のモスクは、森全部を伐り払って広場にして自然を征服した姿で誇らしげに聳えている。

彼らには森の中の聖地という思想は存在しない。「森の中で祈る」気持は日本人以外では考えなかった。神社とは神の在ます聖なる森のことと言える。
12日 日本の神様との違い

キリスト教では、神は神に似せて人間を創り、その下に動物などの被創造物を創った。だから人は、神の名において動物を殺しても罪の意識を持たないですむ。

狩猟牧畜民族に都合のいい宗教である。彼等は他民族を征服し、奴隷化し、奴隷は動物と同じだから家畜とみなして、殺しても虐待してもむごいとも思わない、罪の意識すらない。
13日

神にイケニエを捧げ、日常生活で血を見ることは平気である。キリスト教ではキリストの刑死した姿を毎日仰いで祈り、暮らす。

対する神道では、供物は野菜果物で、血を拒否し、むごたらしい奴隷制度など考えも及ばなかった。日本人は太古から自然に順応して暮らし、森羅万象に神を見て、八百万−やおよろずーの神々を待つ。
14日 日本の神様

神道儀礼の中心は「みそぎ(禊)と祓い」である。これは迷信でなく合理性がある。温暖多湿な日本には、清潔の「清め」と「みそぎ」が疫病の元であるカビや微生物を追っ払うことができる。

穢れを抑えるのに「塩」「水」「火」は神聖なる物である。神の行事は斎戒沐浴とか「清め給え、祓い給え」の一点張りである。日本に神は唯一絶対神のように教訓を垂れる必要はなかつた。
15日 日本の神様は働く

神道の特徴はその労働観がある。天照大神は機織―はたおりーをされた。男神は田畑の耕作をし、お稲荷様は稲の束を担いで運んでいる。

最高の神官である天皇は、田植えと稲刈りをされる。皇后様は「お蚕」を飼って絹を作られる。神が労働する宗教は世界では神道だけである。

16日 外国の神は働かぬ

キリスト教では、労働は卑しい苦役で、天罰とみなされる。イラクでもアメリカ軍の将校は働かない、監督だけである。日本の隊長は兵隊と共に働き汗を流す、これは神道の原理であり日本の原理である。

キリスト教では、日本の始祖アダムとイブは神との誓いを破り禁断の木の実を食べ天国のエデンから追放され、地上で労働を強いられることになつたと説いている。彼らの思想は労働は卑しい、韓国の両班と同様だ。
17日

日本でき働くことは生きる喜びの一つで「欣労」といい働くことを軽蔑しない。

この双方の労働観、日本民族が発展するのは神道の原理が正しい人間の在り方ということにほかならない。
18日 日本の神様との違い

中国・韓国が騒ぐが、米国の教科書では、日本の神話、イザナギ、イザナミの男女二神の国生みの物語と、三種の神器が絵入りで教えられている。

そして、日本は神々の国で、国名の「日の本」とは天照大神という太陽神の信仰に由来すると、正しく教えられているのは皮肉である。中国・韓国ではなく、この日本の中に今尚、占領国により洗脳されたバカな連中が日本人の敵だということになる。
19日 日本の神様との違い

キリスト教の教えは、モーゼの十戒が基本である。1.殺すなかれ。2.盗むな。3.騙すな。4.姦淫するな。等である。山上の垂訓でも、殺生、盗み、騙し、姦淫の禁制である。これは動物的段階の野蛮人向けの戒めといえる。人の道では当然のことだからである。

日本はわざわざ、そんなことを諭す必要はないから、明治以降の教育の基本である教育勅語でも、
「忠孝・夫婦相和し・朋友相信じ・恭倹己を持し・博愛衆に及ぼし」など高い徳目である。資質のレベルが白人と違い高いのである。
20日

過去500年、近世ヨーロッパの白人は「鉄砲と十字架」を担いで全世界の非白人の土地と富を略奪し、原住民を殺戮し、残虐の限りを尽くしてきた。

それも彼らの神の名のもとにその正当性を主張してきた。彼らには罪の意識すら自覚がない。その彼らの神は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の元である旧約聖書である。
21日

パレスチナとはカナンのことであり、聖書にはしばしばカナンの地が出てくる。ユダヤ人の活躍した地である。このカナンの地は自然環境は人間生活に最も厳しい土地とされている。

日本は雨に恵まれ「湿極」と呼ばれ、カナンの地は「乾極」で正反対の環境である。聖書には荒野と盛んに出てくるが石コロだらけの、砂ダラケの、岩塩の不毛の地である。
22日

カナンの地の中央に「死海」がある。塩水の湖で、いわば地球の裂け目であり湖面の標高は海面より400米も低く、将に地底である。

人間居住空間としてカナンの地は絶望的な地である。この極悪の地に押し込められたユダヤ民族の宗教、これを母胎とするキリスト教の教えや戒律で人類普遍の宗教原理には相応しくないのである。
23日 日本の神様との違い

ユダヤ民族は、エジプトやメソポタミアの繁栄を羨望し、どん底生活をしていた。だから彼らの崇拝する神ヤハブの神は他民族の繁栄を呪う嫉妬の神となるのである。

それはその富を略奪し搾取する機会を約束する「征服の神」となるのだ。その神は約束を実現する代償としてユダヤ人に貧困と忍耐と禁欲と団結を要求するのである。
24日

パレスチナの過酷な自然では、自然と対決と、自然を征服するという絶対神が必要となる。排他性、不寛容、妬みの神である。

日本では、自然の温和さから、自然順応、調和、共生の多神教が生まれるのだ。多神教は誰をも受け入れる寛容な神である。
25日

人類文明の秘宝の著者、馬野周二氏によると、「現代日本は決して特殊なものではなく、実は人類が真っ直ぐに育ってくれば、当然そうなるべき姿に一番近い所にいる。日本文明は最高の普遍性を持っている。人類の技術と学芸は20世紀末にすべて出揃い、全世界に拡散した。

来世紀はこれをすべて統合した汎世界文明の時代に入る。その建設の中核に日本文明を措いて外にある筈がない。21世紀は神道を中心とする日本文明が世界をリードしなければならない。という。

26日

マッカーサーの神道殲滅計画、敗戦直後、ワシントン政府の日本占領政策の第一号司令である。日本を再び米国や連合国の脅威にならぬように徹底的に弱体化、無力化するためである。

その為に、日本人の精神の根底にある強烈な愛国心を抹殺すること、つまり大和魂を抜くことを急務とした。
27日

日本を支えた原点は日本神道であると確信し先ず国家神道である、靖国・明治・伊勢・熱田等の神社の焼き払い計画を立てた。マッカーサーは神道もキリストと同じ戦う宗教と勘違いして神社の焼き討ちで大和魂も消滅すると考えた。

この野蛮にして無謀な計画は、当時、日本に駐在していたローマ法王庁の代理公使ブルーノ・ピッター神父の諫言で中止されたのである。「いかなる国家も、その国の為に死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務がある。それは戦勝国、敗戦国を問わず、万国共通の真理である。
28日

マッカーサーは焼き払いは中止したが、全国の一般神社に深刻な影響を与える「神道指令」を発した。これは日本政府に「国家神道、神社神道に対する政府保証、支援、保全、監督、及び弘布の廃止」を命令した。

神道指令は、後の憲法の政教分離条項にもなり、靖国神社への首相参拝問題、地方首長の招魂社への玉串料違憲訴訟という外国では考えられない非常識な紛争の種を残して今日まで尾を引いている。これらから一日も早い脱皮なくして真性真の日本はない。
29日

「日本は人類史上最大の精神文化の継承者だ。神道なくして日本はない。日本人はなぜ国際場裡で、もっと毅然として千古脈々たる「大和魂」を発揚しないのか。日本人よ、速やかに誇りと主権を取り戻されんことを」

この発言はフランスの作家オリヴイエ・ジエルマントマである。(日本待望論)、彼は鹿児島の知覧の特攻隊記念館、那智、出雲、富士、京都、伊勢など歴訪し日本人の霊性に感動している。
30日

「プロテスタント文化は、科学、哲学、産業革命を生み出しも現代の経済中心の世界を作り上げた。だが、今や、ユダヤ・キリスト教を中心とする宗教世界は、闘争から闘争に明け暮れて、疲れ果ててしまつている。

これは、人間と自然との関係を排除してきたからだ。ついては、自然と人間、人間と人間の調和、共生を求める日本の古道の神道に回帰せねば人類は救われない」英国人スチュアート・ビッケン教授の発言である。
31日

「神道こそ神に近づく道であり、手順であり、それを厳格に実践することで、深く霊性を開発し、人格を高めることができるものである。神道は我々地球人にとって必要不可欠で「人類の宝」だと確信する。

これは米国人、コーイチ・パリッシュ宮司の言葉である。同氏は三重県、椿神社で11年修業した人である。ワシントン州クラニテ・フォールに「神ながら神社」を創建し宮司として多くの米国人信徒を持つ。素晴らしい日本文化を忘れているのが愚かな戦後日本人である。