丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ) 和歌山県天野村


高野山を含む紀伊山地北西部一帯の地主神を祀る神社である。文献の上では855年にあらわれているが、祭祀の起源はさらに古いと伝えられる。
祭神である「丹生明神」「高野明神」は、空海が金剛峯寺の寺地を選定した際の伝説に土地を譲った神及び道案内をした神として登場し、金剛峯寺にも鎮守として勧請された。1208年には敦賀国の気比及び安芸国の厳島の二明神を勧請合祀し、以後「高野四所明神」として崇敬されるようになった。
境内には、もともと仏教関連の堂塔や僧坊が多数存在したが、19世紀の神仏分離令によって撤去された。金剛峯寺と常に密接な関係を保ってきたことは、文献及び絵画等によっても裏付けられる。また、境内と「高野山町石道」は「八町坂」によって結ばれ、合流点にはこの神社の遙拝のための「二つ鳥居」が建てられている。

丹生都比売神社本殿は、四所明神を祀る四棟が金剛峯寺の方角を意識して北西に面して建つ。第二殿及び第四殿が1469年、第一殿が1715年、第三殿が1901年の再建であるが、内部にある神体を安置するための宮殿(くうでん)はすべて1306年のものが受け継がれている。
丹生都比売神社楼門は、本殿の正面に位置している。現在の建物は1499年再建のもので、13世紀末の絵画に描かれている八脚門の形式から、現在のような楼門形式へと発展的に変化したことを示す。