日本、あれやこれや K

1日

晩春ー清明

「万物ここに至って皆、潔斎にして清明なり」である。

45日頃、すがすがしく明るいというのは、この季節の空気を表現したものと言われる。

花見
2日

桜を見ることである。百花が咲く季節であっても桜が一番なのが日本である。花見は全国的行楽だが、地方

では農作に先立つ一つの儀式でもある。西行「願わくば花の下にてはる死なむ そのきさらぎの望月のころ」は日本人らしい心情である。

3日 各地て桜にちなんだ祭りがあるが、香川県、金刀比羅宮では桜花祭がある。神官も巫女も桜を持ち、髪にも桜を挿し、そして全山が桜

に覆われている中を練る。俳句では花見の季語は多く、花の宴、花衣、花の幕、花床机、花の踊、花筵、花人、花の袂、桜狩、観桜などがある。

4日 鎮花祭

はなしずめまつり
花が咲くのは生命の生れる時。散るのは命の衰える落花の頃は疫の流行が盛んで、これを鎮める祭りであり、行疫神を祀った大神―おおみわー・狭井の二神を祀る宮中神

事。崇神天皇に始まり平安時代に盛んとなる。京都東町、上野町など。桜花を飾った傘を真中にして、「や富草の花や やすらえ 花や」と鉦太鼓で囃し巡る。「や富草」とは稲の花を指す、「やすらえ」は「ちょっと待ってくれ」の意味、花が散るのを惜しむ願いである。

5日 穀雨

清明の後十五日、420日頃。春雨が降り百穀を潤すの意味。

立春からこの日までが春。
6日

天之菩卑能命

あめのほひのみこと
葦原中つ国の平定を託された天照大神の次男。

出雲大社千宮司の先祖。
7日

日子番能邇邇芸命

ひこほのににぎのみこと
高天原から天下った天照大神の孫神。

天皇家に直接つながる祖先神。神武天皇は曾孫である。
8日

日子穂穂手見命

ひこほほでみのみこと
山幸彦のことである。兄は海彦。

鵜葺草不合命―うがやふきあえずのみこと。山幸彦の御子で神武天皇の父親である。
9日

「神徳を分業する神々」.

「山の神」大山津見神―おおやまつみのー
「野の神」−神鹿屋野比売神
―かむかやぬひめのかみー

「農産物の神」大気都比売神―おおげつひめのかみー「火の神」火之夜芸速男神―ひのやぎはやおー

カミの語源1
10日

.明神」と書いたのを日本書紀では、「あらかがみ」と

読ませているので、「鏡」の略であるという説。契沖、谷川士清など。
11日 .すべて尊いもの、上位に位するものを「かみ」と称するという説。 新井白石、伊勢貞丈、本居宣長、久米邦武、ラフかディオ・ハーン、アストン等。
12日

「明見」−あかみーの略で、神明照臨するという意味である

という説。和訓栞など。
13日

.隠身」−かくりみーの略、「かくばかり」を「かばかり」と略するようにーであって、

「現身」−うつしみーに対するものであるという説。斉藤彦麿、大槻文彦等。

14日

「牙」−あしかびーであるという説。日本書紀の冒頭に「古天地―いにしえあめつちー未だ剖―わかーれず、陰陽―めをー分かれ

ず、混沌−むらかれーたること鶏子−とりのこーの如く、くくもりて牙―かびーを含めり」とあるのを根拠とする。平田篤胤等。
ニューズウイークの記事
15日

1973年7月30日号、天皇の番人として宮内庁長官の記事。昭和天皇は、2633年の昔から中断されたことの無い一系の皇統の第124代目の天皇、と表現している。

これは神武天皇の即位が紀元前660年に行われ、その後の記紀の天皇は全部実在したという前提である。古代に書かれた文書は偽物でない限り、それだけの敬意を受けるものである。

16日

日本の特色伝統

日本の風土そのもの、神道、天皇、元号、日本語。

家族制度、手の文化、道の文化、長寿の文化、武士道精神。

日本刀
17日

特に鎌倉時代から江戸時代初期に造られた刀は優秀、20世紀の武器収集家である、ジョージ・ストーンは、16世紀製作の日本刀により

、近代ヨーロッパ製の剣を真っ二つに切る実験に立ち会う。15世紀の日本刀により機関銃の銃身が真っ二つに切り裂かれたのを見た。

18日

1560年に来日したイエズス会の神父は「日本刀はヨーロッパ製の剣や鎧兜をあたかも草を切るように切り裂いてしまう」と報告している。

13世紀のモンゴル騎兵や中国人が被っていた鎧兜では、日本刀の格好の餌食になっていた。

19日 生きている日本の遺跡

アテネ・オリンピックのパルテノン神殿は、単なる瓦礫の神殿の跡に過ぎない。

伊勢神宮・鎮守の神社・高野山・比叡山はみんな生きている。
20日

連綿

秦の始皇帝の子孫は跡形も無い。

日本は、天照大神の子孫が皇室である。

21日

子孫

天照大神の長男はアメノオシホミミノミコト、その子孫が現在の皇室である。

天照大神の次男はアメノホヒノミコト、その子孫は出雲大社の宮司千家である。

22日

おかくれになる

古事記の表現に、神避坐也とある。かみさりましぬと読む。―イザナミのミコトの話にある。

黄泉の国に行かれたのであり、死ぬというのは退去であり、死者はカミとなる。おかくれになるだけである。

23日

日本文化と先祖

「ご先祖様に顔向けができる」、「家名を上げる」、「家名を汚さない」、これが日本人の最高価値であった。

日本文化は根本的に先祖達を意識するところから生じている。カミ様も突き詰めれば先祖のことなのである。祖先崇拝は自然なことである。

24日

和歌の前に平等な日本人

上は天皇から下は農民、兵士、乞食至るまで万葉集には入っている。男女の差別もない。

文字どおり国民的歌集である。

25日

十七条の憲法

推古天皇12年、604年夏四月、聖徳太子自ら作られた。憲法―いつくしきのりーと読むらしい。

「いつく」は「斉くーいつく」つまり「心身を清めて神につかえる」気持から出ている。単なる掟ではなくコンスティチューションであり世界の驚異である。

26日

木造建築の奇跡

法隆寺は世界最古の木造建築である。

千数百年間、多くの地震や兵火の多い国が木造建築群をほぼ原形のまま保持してきたことは一種の奇跡である。

27日

聖徳太子

大国・隋の天子に対して「日出づる処の天子、書を日没っする処の天子に書を致す、恙なきや・・」と言ったものだから隋の天子は「帝、煬帝これを覧て悦ばす・・」と隋書にある。

日本の自主外交の始まりである。朝鮮半島と違い、有史以来日本は中国と対等の関係を築いてきた祖先である。現代の共産主義中国の覇権に絶対に屈してはならない。朝日新聞・NHK等に紛れ込んでいる中国シンパは日本の中国化を策動している。

28日

天武天皇

天武帝は全国の家ごとに仏壇を作り仏像を拝むように命じられた。大和法起寺に三重塔、薬師寺を建立された方。

又、同天皇は、伊勢神宮の式年遷宮を決められた方でもある。

29日

信教の自由との関係

靖国神社のことを兎角言う人は、日本のことを知らない人である。筋の通った日本の神社のカミは、日本人の先祖であり、それにお参りするのは血のつながりという事実確認行為である。

キリストやマホメットや釈迦を信ずるのは宗教である。

30日

光明皇后

聖武天皇の后であるが、民間出身である。

藤原不比等の三女、奈良の法華寺を建立、又、らい病患者の膿を吸われた方で悲田院や施薬院を建立された。天平の時代にである。