二千年前から盗まない日本人

古代から進んでいた日本 

()()倭人伝(わじんでん) 

「婦人(いん)せず、妬忌(とき)せず。盗窃(とうせつ)せず、諍訟(そうしょう)少なし」

即ち、婦人の貞操観念は堅く、ねたんだりしない。盗みをする者も少なく、訴えごとも少ない。古代の日本人の姿を伝えるものである。 

魏志倭人伝は邪馬台国や卑弥呼のことを記した中国の正史である。三世紀後半、晋の陳寿が著した「三国志」の中の「魏志」のうち、倭人(日本人)に関する記録を魏志倭人伝と呼ぶ。邪馬台国までの道程、地理、風俗、産物、政治、社会などを記している。 

その倭人伝によると「盗まない」ことが特筆されていて盗まないことに驚いている。中国にとっては盗まないことが特筆すべき長所なのである。それだけ泥棒が多いのである。 

それは今日までも継続して連なる姿でもある。西暦200年頃の日本は既に、刑法の施行、租税の徴収、市が立ち、倉庫、商店があり貿易もいっていた。さらに魏の国へ使者を送るなどの政治的活動もしていたのである。 

漢書(かんじょ)地理誌

日本に関する最古の確実な文献はやはり中国である。紀元1世紀後半に著されている「漢書(かんじょ)地理誌」には次のように記されている。 

()楽浪(らくろう)の海中に倭人あり。分かれて百余国を()す。歳時(さいじ)を以て来たり(けん)(けん)すと云う」 

楽浪郡の海の向こうには倭人がいて、百余りの小国に分かれている。定期的に貢物を朝貢しているという。紀元前後、日本は船で大陸に渡る技術も持ち、政治的に中国とやりとりしていたのである。想像以上に進化していたのだ。 

随書(ずいしょ)()国伝(こくでん)

1400年前の中国書。それによると 

「人すこぶる(てん)(せい)にして、争訟(そうしょう)まれに、盗賊少なし。・・気候温暖にして草木は冬も青く、土地は膏腴(こうゆ)にして・・・性質直にして雅風(がふう)あり」と記録がある。 

人はすこぶる物静かで、争いごと少なく、盗賊も少ない。・・気候温暖で草木は冬でも青く土地は肥え美しい。・・性質は素直で雅風がある。 

これは今日にも繋がる日本人の地下水脈となっている。 

ザビエルも驚いた

魏志倭人伝の時代から1000年以上時代が下っても、外国人は驚いた。1500年頃、日本に来たザビエルは 

それがキリスト教信者の地方であっても、そうでない地方であっても、「盗み」について、これ程までに節操のある人々を見たことがありません」と記録に残している。 

幕末前後来日外国人

更に時代が下がり明治維新前後に来た多くの外国人達も、この点に驚は欧米も日本には敵わないと自ら認めていた。 

盗まない」ということを約2000年もの長きに渡り日本人の特徴として外国から羨望されているのである。 

阪神大震災

阪神大震災の時に火事場も泥棒も無かったことに世界が驚いたものだ。日本人のモラルの高さは2000年来のものである。 

    平成20年元旦

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典