大峰女人禁制について--森川礼次郎氏


私は昭和3年生まれ、75才です。
戦後の学生時代から大峰縦走に心引かれ、友達を誘って果たそうとしたのですが、狼が出るといわれて断念しました。
 
社会人となってから忙しく、つい出かける機会がなく、50才台後半になって洞川から直登1回、稲村岳から1回山上が岳に登り、その後奥駆けを目指して吉野から2回入峯しましたが、一度は豪雨にたたられて和佐又に降り敗退、2回目は9月25日で宿坊は休みで水もなく小笹宿で泊まりましたが、同宿の行者が極めて不愉快で、気分が削がれ洞川に下りました。その日も洞川の宿でお風呂を頂いたのですが、その若女将も客とも思わず不愉快な人でした。

 何回も失敗で情けなく、ついに73才の時友5名と吉野から入峯し、彌山から2人になり、深仙宿から私一人で山霊に導かれ、念願の南奥駆けを果たしました。
一週間の奥駆けでしたが心身爽快で山霊に導かれ、熊野川で体を清めて本宮にお参りしました。73才の勲章でした。
帰ってから『大峰奥駆之記』を書いて、ある雑誌に載せてもらいました。この時は未知の山歩きの域を出なかったのですが゜、本来の「死と再生の行」として、77才の喜寿の年に再び奥駆けをと念願しています。
 
 さて数回の峯入りで感ずることは、一頃騒がれた「女人禁制」が、一部の反対で消え去ってしまった事です。役の行者から続く伝統は分かりますが、今の修験者は皆妻帯して一世行者も少なく、しかも山開きの期間だけしか入峯せず、果たして伝統の修験道を全うしているとも思えません。
本当に行をするなら、まだ人跡未踏の場があり、そこ
で徹底した行を冬でもなぜされないのでしょうか。戦後の修験者は昔から見れば堕落していると言われても仕方ありません。それも時勢の所為にされるのであれば、最早「女人禁制」を長年の伝統だとして拒むのは身勝手過ぎると思います。日本の仏教は女人を救うことから鎌倉以来発展して来ました。全奥駆けにしてみても、最近の女人なら充分出来ます。相撲の土俵とは異なる次元であり、混迷の現在の女人を救うという宗教理念からしても、女人でも大峰を修行の場として、女人入峯を認める英断を期するや大です。
 平成15年7月14日
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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