奥三河駆け足し紀行ー愛知県

愛知県のお方のメールで西の尾瀬と言われる「葦毛湿原」があると聞いたり、奥三河の鳳来山にとても惹かれていたので、駆け足しの紀行を親友としてきた。信州から飯田線経由の旅は経験があったが、泊まり損ねた湯谷温泉にも多少の未練があり宿泊して、友人と素晴らしい露天風呂を堪能してきた。
葦毛湿原ーー西の尾瀬と聞いたが「ショウジョウバカマ」が終わったばかりで、端境期であったのであろう、友の指摘で「はるりんどう」だけを、初めて観察した。親友は花の形を観察して判断したという。確かな観察眼と知識が的確だ。背景の山々の新緑が素晴らしかった。

葦毛湿原
葦毛湿原の特徴  葦毛湿原は一般に知られている地域の湿原とは異なり、特異なもの。一般に湿原を起源によって分類すると次のようになる。
1.湖沼湿原(湖沼が埋め立てられ、その末期に生ずる)2.河川湿原(河跡湖が埋め立てられ生ずる)3.平地湿原(平坦地のくぼみに生ずる)4.海岸湿原(海岸の沿岸川の内側に生ずる) この、いずれにもあてはまらないのが、葦毛湿原。有名な尾瀬ヶ原や釧路湿原は植物の厚い堆積層がありますが、葦毛には、植物の堆積物はほとんど存在しない。


豊川稲荷ーー予てよりこの稲荷にお参りしてみたかった。仏教系のお稲荷さんだと初めて知った。神社系の稲荷は伏見稲荷、これに佐賀の裕徳稲荷を加えて三大稲荷というらしい。
日本三代稲荷の一つ,豊川稲荷の門前町としての古い歴史を持つ町。市には東海道の宿場町として栄えた御油,赤坂が当時の面影を今に残している。
砥鹿神社ーー湯谷へ北上する道中に、深遠なるただものでない森に惹かれて参拝し禰宜さんと懇談した。キッカケは友がこの神社名を記憶していたからであった。「とが神社」と言う。三河国の総鎮守の神社であった。砥鹿神社の祭神は大己貴命、即ち大国主命である。

創祀年代は不詳。参河國一宮である、砥鹿神社里宮。『砥鹿大菩薩縁起』によると、文武天皇大宝年中、天皇が御病気の時、「公宣」卿(社家草鹿砥氏の祖)が、参河國設楽郡煙巌山の勝岳仙人のもとに勅使として派遣されたが、道に迷い、本宮山に踏み入った。この時、砥鹿神が老翁の姿で出現し、助けたことにより、文武天皇の勅願により、本宮山麓に宮居を定めた。その時、清流に衣を流し、流れ着いた地に社殿を建てたのが本社。

長篠城址
長篠の戦いは徳川家康の歴史を学んでいて忘れられない戦場であり一度はと思っていた。他愛も無い城址であった。歴史は既に風化していた。歴史的な武将の幟はいいが商業的な幟の林立はこの歴史遺産を自ら賎しめている。
所在地:愛知県南設楽郡鳳来町長篠
鉄砲三千丁で有名な長篠の戦いで知られるお城。現在本丸跡は何も残っていない、合戦当時この城の守将だった奥平氏の家宝、血染めの陣太鼓などが資料館に収蔵。この城はもともと、この地域の土豪、山家三方衆の一である菅沼氏が築いた城。もともと菅沼氏は今川氏に従属、桶狭間で今川義元が敗死後は松平元康(後の徳川家康)に従う。元亀2(1571)年には、武田軍に攻められて落城し、以後しばらくの間は武田氏の配下。
武田信玄は元亀3年に上洛の軍を起こしているが、その際に伊那地方と東三河を結ぶ道沿いに位置するこの城を抑えておくことは、徳川氏を牽制する上で非常に重要な意味を持っていた。当時の徳川氏は、遠江の浜松城と三河の岡崎城を両輪として動いており、吉田城(豊橋市)が2城をつなぐターミナルとなっていた。長篠を抑えることは、徳川氏の東三河の拠点であった吉田城(豊橋市)を射程距離内に捕らえ、徳川氏の領国支配体制に楔を打ち込むことを意味した。
信玄が病死後、家康は長篠城を奪回、奥平貞昌をこの城に封じた。そして天正3(1575)年、武田勝頼はこの城を再び手中に収めるべく、一万五千の大軍で長篠城を攻めた。豊川と宇連川を背にした要害堅固のこの城は、鳥居強右衛門はじめ城兵の奮戦もあって武田軍の猛攻にも耐え抜いた。そして、城を落とすことができないまま、武田軍は織田徳川連合の援軍三万八千を設楽ヶ原に迎えた。

湯谷温泉
ーー鳳来寺山の山麓にあるこの温泉は屈指の渓谷のある宇連川、又の名を「板敷川」という、それは川底が巨大な岩盤で恰も板を敷いたような見事なものだからである。この温泉は1000年の歴史があるという。新緑の巨大なもみじの樹の陰にある露天風呂の眼下にはこの板敷川の渓谷が素晴らしい。この露天風呂は全国ブランドと見ていいだろう。満喫したことは申すまでもない。
谷温泉は、宇連川の両岸、桜・新緑・紅葉などが四季折々に板敷川の清流に映え、刻一刻表情をかえる渓谷随一の景勝地として有名。ここから涌き出る鳳液泉は、1200年前より親しまれている湯。温泉の泉質はカルシウム・ナトリウム塩化物泉で、泉温は52.0度、湯量豊富。

鳳来寺ーー
鳳来寺山にある、元々の本堂の見事な鬼瓦の屋根に5年ものの松やもみじの樹が生えていたのには驚嘆した。こちらのほうが寺としては見事であるのに放置されていた。徳川家康の母、於大のお方と父、松平広忠が祭られている。
1425段の石段を登り、山頂(684m)から眺める三河湾はすばらしい。ブッポウソウと鳴く“コノハズク”(愛知県の鳥)、そして“モリアオガエル”で有名。一方鳳来寺は、大宝2年(702)利修仙人が開山。後に、源頼朝が再興。利修仙人作の薬師如来が本尊。大正3年、火災で焼失した本堂は、昭和49年再建

東照宮ーー寺よりこの神社の環境のほうが神韻としてよいように思う。ここで五平餅を食い損ねた。ただこの山は断崖もあり古は修験場として著名であったのではなかろうか。

鳳来寺は真言宗五智教団(しんごんしゅうごちきょうだん)の本山で,鎌倉時代には三河七御堂の一つだが室町時代に衰えた。江戸時代,鳳来寺山に東照宮が建立されて以来徳川氏に手厚く保護され再び最盛期を迎えた。東照宮は徳川家康を神として祀った神社で,幕府により全国に造られ,現在鳳来寺山には,かつて家康の母の於大の方(おだいのかた)が,鳳来寺山の薬師に懐胎を祈願して家康を身ごもったという伝説があった。そこで3代家光がここに東照宮造営を命じ,4代家綱のとき(慶安4)に完成。建物は本殿・中門・拝殿(はいでん)・弊殿(へいでん)・水屋が当時のまま残っており,国の重要文化財に指定されている。建築当時は,日光東照宮のように漆塗りの極彩色で,江戸初期の権現造(ごんげんづくり)の様式。
茶臼山登山
ーー愛知県最高峰ー1451米ーに登山して展望を楽しんだ。やはり新緑の山々は素晴らしい、汗を一杯かいた。

茶臼山は愛知県下で最も早く、楓やブナ等が美しく色づく。また、茶臼山高原道路(有料)から眺める紅葉も格別。
JR東栄駅からバスで約1時間30分「茶臼山入口」下車、徒歩で約1時間10分

平谷温泉のひまわり湯ーーここの露天風呂のスケールの大きさには感激した。汗を流してビールと中華蕎麦を食べて園原経由、中央道へ出て一路帰阪めざした。
快晴に恵まれた我々は晴れ男を再々確認した。本日の4月23日は寒い、明日は更に冷え込むという。本州中央部では雪もあるという、昨日のあの暑かった、茶臼山も次郎坂高原も寒くて雪でも舞っているであらうか。

長野県飯田市と愛知県豊田市を結ぶ国道153号線沿いにある「道の駅平谷」に隣接して、平成7年7月に公営温泉浴場としてオープン、平成9年12月に第三セクター(株)信州平谷温泉が設立。関西・東海・北陸の日帰り温泉人気ランキングで、毎年上位にランキングされている。

内湯は長さが10m、7m位の大きな浴槽に寝湯がついている。しかし、ここの売物は、なんといっても信州一と謳っている露天風呂で、二つの岩石積みの風呂には、50人以上が一度にゆったりと入浴できるだろう。これも1分間に600リットル以上の湧出量があるためだ。泉質はナトリウム・炭酸水素塩泉、いわゆる重曹泉で肌にシットリ感が残る上等の湯。


平成16年4月23日 徳永圀典