六甲山--海抜932.1米 

著名なので説明を要すまい。
六甲全山56キロの縦走は結構ハードだ。午前4時頃塩屋を出発しアップアンドダウンを繰り返して最終地点の宝塚は塩尾寺に夜6時から7時に到着する。私は二度完走して神戸市の表彰楯を得ている。壮年時代には暇を見て歩き回り2万5千分の一の地図は走破した路線は色鉛筆で縦横無尽となった。

関西百名山登山記録 C六甲山平成10年5月23日 
集合場所 阪急芦屋川駅
参加者 森川 繁益 徳永

am9.00 出発
am9.30 荒地山への分岐点 人は少ない。徐々に視界が広がり展望良し。ツツジが美しい。
am10.10荒地山の岩梯子に取りつく。中々険しいものだ。難なく突破する。
am10.50芦屋ゴルフ場、これからは通常の六甲登山コース。七曲がり経て一軒茶屋に到着。ビールで乾杯。
pm12.00昼食して魚屋道を経て有馬温泉到着はpm14.50温泉に入る。
pm16.00いい気分の湯で後にビール飲み解散した。別々に帰宅。

関西百名山 登山記録 番外編 平成13年3月3日 曇
みなさんへ 安東満雄です
今日は、皆さんが良くご存知の兵庫県々北に連なる六甲最高峰標高931mに阪急芦屋川駅から登って来ました。六甲山登山を別に軽く見ていたわけでは有りませんが、私はそれなりに登山準備をしていた積もりですが、出発前、家内から準備が悪いと散々毒突かれ今日は事故がなければ良いが心配して出発しましたが、お蔭様で何とか無事に帰って来ました。
今日のパーティの中には初参加で、大阪・北の新地の芸者の方(自称元美人、新地の現在々籍者21人のお1人とか)も居られ何時もと違った和やかさでした。阪急芦屋川駅は昔、大阪本社時代にその山手に有る独身寮「洗心寮」に3年ばかりお世話になった通勤駅で、その後、小生も群馬支社へ転勤。それ以来初めての下車駅で、大変懐かしく指折り数えて見ると40年ぶりでした。その寮は今は売却され現在はS社の物ではありません。
登山は芦屋ロックガーデンを右に見ながら西のコースを、会下山遺跡、
風吹山、雨ガ峠を経て、更に右下に芦屋ゴルフ場を見ながら、七曲りから六甲最高峰へ。頂上に近い一軒茶屋で昼食後、下りは魚屋道を経て有馬温泉へ。この間約6時間。七曲りから積雪時は軽アイゼンが要るかもと言われておりましたが、若干の残雪は有りましたが、軽アイゼンの必要は有りませんでした。しかし、今回より初めてアウトドアコンピューター「フィールド・シクコムG45」を購入し所持しましたので、山の高度、天気予報、気圧傾向グラフ、高度グラフ、温度計そしてコンパスを試験方々チェックしながら登山しましたので、変わった楽しみが増えた感じです。山頂からは、港神戸をはじめ、芦屋市、西宮市、宝塚市が眺望出来ましたが、この登山コースは芦屋からは大きくは3コースがあるとかですが、「六甲山までの百コース」と言われる位、山並山上まではいろいろなコースがある様で、その山並も広く、西は山脚を瀬戸内海に浸す塩屋から、東は宝塚まで連なる約50kmもあり、これを六甲連山と呼び、その山頂そのものを「六甲最高峰」と呼び区別しているとか。六甲登山の始まりは、神戸居留地の外国人たちだそうで、「日本における近代登山の始まりは此処六甲」とか。そうした事も有り、山上には日本初のゴルフ場として明治36年に外人によって作られた「神戸ゴルフ倶楽部」があります。近代登山以前は、魚の運搬に使われた魚(トト)屋道、あるいは徳川道その他信仰の道等登山以外に使われていた様です。
我々は有馬温泉「かんぽの宿」で入浴を予定しておりましたがこちらはPM3時半までであり、もう閉まっておりましたのでバス停の近くの神戸市立温泉会館で有馬湯として特質ある金湯、銀湯に入浴、その後は同会館にて登山、温泉入浴後の最高のビールを頂き乾杯。バス乗り場で解散。
なお、同道されました芸者さんのお名前は「千代鶴さん」。皆さんの中にもご存知の方がおられますかな。最後まで頑張られました。ご商売の方は只今も現役。25歳で花柳界に入られたとかで、S社の雲の上の方々については現職の方々は当然として亡銅金専務、亡小松専務の時代まで逆上り大変良くご存知でありました。世間は狭い。
「この文は安東さんからメールで徳永まで送信されたものです。そのまま番外編記録と して正式に登録し各位にお送りします。」徳永圀典