霊仙山--この偉大なる山 ---海抜1083.5米

関西百名山登山記録33 霊仙山
平成13年7月21日 土曜日 快晴
参加者 森川、清水、繁益、安東、長戸、高橋、徳永

山蛭が降った
登山口の上丹生は醒ヶ井からタクシーで僅か10分くらいのものであったろうか、山裾は杉とか檜の林で緑の深い陰の気が漂っていた。カモシカの声が聞こえますか、熊に注意とかの案内板がある。谷山谷を登り始めた、途中に垣間見た霊仙山は山容が大きい明るく悠々たる風貌を見せていた。やがて屏風岩が左方向に見えた。中々に険しい山裾で、遥か左上になだれの痕があり登山道近辺に石がゴロゴロとしている。やがて、分れ道で、谷沿いの先はうるし滝とある。若い女性がバックしてきた。ここから急な谷沿いの岩場であった。うるし滝は遥か先で遠くから眺めた。時は12時25分で早や2時間経過している。中々深い谷である。ここから大きく右回りする。ここで安東氏が蛭にやられたと言う。5センチあるという。矢張り美味しい人が狙われたと皆に言われた。陰の谷だ、蛭がいるとは驚いた。漸く稜線に出たのが午後1時半、ここは柏原道への三叉路だ。頂上はまだまだだ。漸く谷を抜けたのだが3時間かかっている。ここからは視界が開けていい気分だが笹原で非難小屋を過ぎると飯塚山、霊仙はまだあの向山らしい。清水氏の足が引きつる。会長のサロンパスで快癒した。霊仙山は尾根を四方にのびやかに広げた山で素晴らしく高原の涼風に暫し和んだ。白いカレンフェルトが点在する草原状で風が涼しい。ここで清水氏はまだ気づいていなかったのだが、ご自分の足に蛭がついて出血がひどくズボンに血がついていたのが分かったのは先の事であつた。2時、飯塚山で握り飯を食べた。霊仙山1084米頂上は2時30分であった。眼下に琵琶湖を望み、思わず琵琶湖哀歌を口づさむ。ここで更に蛭の被害者が判明した。会長と徳永以外の全員であった。高橋氏は背中にいたらしい。将に、蛭が降っていたのだ、あの谷山谷では。木々の枝にいた蛭が人間の血の匂いを嗅いで音も無く吸い付いたのだ。黒い蛭が枝から降ったとはゾットした。泉鏡花は高野聖の世界だ。下山して地元の人に聞くと先頭を歩いた人はやられないそうだ。会長と徳永は終始先頭を歩いたのは事実であった。血の匂いをかいで次の人を待つこの凄い本能。知識によると年に2-3回の吸血で生きる事が出来るらしいし自分の体重の10倍も吸血可能らしい。霊仙山には確かに摩訶不思議な霊が潜んでいた。

長い長い下山ルート

山頂から下山開始したのは3時であった。一旦、飯塚山に戻りお虎が池に向かう。笹漕ぎやら坦々とした草原で気分はいいが、この山の大きさには感心した。標高に比して雄大なスケールはアルプス並みだ。笹漕ぎが延々と続く、歩いても歩いてもだ。そして、急な林の中の坂道となり、汗拭き峠、まだ70分ある。繁益氏がかなり苦しそう。やがて、舗装林道に会長と徳永が到着し、途端に近くから軽トラックが動き出した。思わずヒッチした。全員が藁にも縋る思いで歓喜の声を挙げて大喜びした。そして、醒ヶ井の養鱒場へ午後5時半着。乾杯とバスを待つ、繁益氏の体調不良が気がかりであつた、米原駅で蕎麦も、あの好きなビールもやらない繁益氏。
長い、長い、印象深い一日であった。当然の事ながら、伊吹山の夜間登山は、山は逃げないとの暖かい一言で延期となった。ハプニングの連続の霊仙山であつた。三度目の正直で登山できたが霊の山と言わずして何と言うべきであろうか。