世論なるものとマスメディア

1.いつも思うのだが、世論だと称するものを新聞とかテレビが、当に全員から聞いたように報道する。本当であろうかといつも思っている。然し、多くの人々は信じてしまい影響を受けてしまう。私はイカガワシイものだと簡単に信用しない、自分の常識的感覚を信じている。
例えば、歴史教科書など、本当に物言わぬサイレントな方々は、いい本だと私の聞いた方は殆ど賛成である。騒がしいのはノイズイな左派とか一部外国人、マスメディアであった。全く読まないで反対しているやに見える。専門家でないと分からぬからだ。だから、反対の為に動員された連中であろう。それなのにマスメディアは、世論の動向のように大きく報道して惑わす、そう、「惑わすメディア」である。一人一人に尋ねて集計したものではない、彼等の願望とか心情、信条に従い作成し誘導している要素が強いのではないかと思う。

2「.ニュースと真実は違うと主張したのは、世界のジャーナリストの栄誉ある名声を持つ、ジャーナリスト、ウォルター・リップマンであるらしい。真実とニュースは違うことを銘記しておこう。北朝鮮の応援団を美女軍団と言い視聴者を惑わすのだ。マスメディアとは騒ぎ立ててお金になる商業企業であることを本当に確りとして認識し彼等の報道を受け止めなくてはならないと思う。

3
.「ニュース」とは、「一つの出来事が発生した事を知らせる合図」というらしい。
4
.「真実」とは、「隠された事実を表面化し、それらを相互に関連づけて、人間がそれら基づいて行動できるように現実の情景をつくること」だというらしい。

5だから、世論なるものを、絶対的正しいと受け止めてはならないのである。彼等は科学的な判断材料を有しているのではないのだ。一部の噂とか、真実を見極めないでの他のメディアの流れに沿うとか、担当者の知識の程度、経験の程度、見識などとか、心理も大きい要素があるのではないか。
短時間の間に、よく考えもしないで報道しているものに真実があるとは思えない。願望、期待、私的理念等々、尤もらしく作り上げるのではないか。

6..そのようなものに我々は常に誘導されていると思って対策をしておいて丁度いいかもしれない。
私は、普通人の平凡な常識こそ、世論そのものだと考えるがいかがであろうか。それこそ偉大なる世論だと確信する。
平成16年1月8日 徳永圀典