司法の現場の誤った歴史認識C
祖先を敬わずしてモラル低下は妨げせれない
私は現在、靖国訴訟とは別に「百人斬り」訴訟に携わっています。
シナ事変の渦中にあった昭和12年、国民の戦意高揚のため、南京攻略戦に参加した野田毅、向井敏明両少尉のどちらが先に中国兵を百人斬れるかを競っているという創作記事が東京日日新聞に掲載されました。これがいほゆる「百人斬り」ですが、両少尉は南京軍事裁判で虚報の新聞記事を唯一の証拠として処刑されてしまいました。
のちにカメラマンなどの証言からも「百人斬り」が完全なる創作、虚構だったことは明らかになっています。
それにも拘わらず、現在も中国側のプロパガンダに利用されると同時に、国内の学校教育現場でも平和教育の名のもとに引用され「真実」であるかのように独り歩きが続いているのです。
両少尉は南京軍事裁判で虚報の新聞記事を唯一の証拠として処刑されましたが、虚構記事だと明らかになったいまも、南京大虐殺の象徴とされているお二人とその遺族の名誉回復のため、平成15年に訴訟を起こしました。
被告は「中国の旅」などで、「百人斬り」を虐殺の象徴につくりあげた本田勝一、朝日新聞社、柏書房と虚報を認めない毎日新聞社(元東京日日新聞)です。
裁判の材料としてあらゆる資料を集める中、お二人の遺書を拝見する機会がありました。
彼らは、自分たちは百人斬りは絶対にやっていない。しかし、自分たちが処刑されることで中国と日本の交戦8年の恨みが流されたら本望だ。だから決して中国を恨まないでください。中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳、死んで護国の鬼となります。と書き遺して死んでいったのです。
中国を恨むどころか、現在日本では「百人斬り」が史実だと信じられています。ある小学生は二人の少尉に対し「バカヤロー、日本の恥だ」と作文に書いていました。この作文を読んで遺族は深く傷ついています。
昨今、日本人のモラル低下が叫ばれていますが、国のために尊い命を捧げた人々に対し感謝と尊敬の念を抱かないどころか、「国の恥だ」と罵る国民にとどうしてモラルが求められるでしょうか。私は当然の流れだと感じます。
日本人が再び正しい心を取り戻すためには、まずは学校で子供たちに命をかけて国を守った人々に対する感謝の念を教えることだと思います。今の学校教育では戦争での負の部分を強調している上「百人斬り」など真っ赤な嘘まで教えています。
このような自虐教育を一日も早く断ち切って、大東亜戦争は負けはしたが祖先は立派に戦ったというエピソードをもっと教えるべきです。
それによって祖国への誇りと祖先への感謝の念が生まれ、ひいてはそれが自分への誇り、周囲の人々への感謝の心へと繋がっていくと思うのです。
また、司法の点から言えば、一刻も早く内閣総理大臣の靖国神社参拝は憲法20条3項の政教分離規定に反しない、合憲であるとはっきり宣言することが必要です。
いまは、「公人か私人か」などつまらないことが争点になっていますが、国家を代表する内閣総理大臣が命をかけて祖国を守った英霊に祈りを捧げるからこそ意味があるのです。
再びモラルある日本国を築くためにも、いまこそ戦後失ってきた祖国を思う心を取り戻し、日本人本来の姿に立ち戻ることが求められています。
そのためにはあらゆる観点からの取り組みが必要ですが、まずは教育と司法の改革が急務だと思っています。完