史記 2
中国正史の筆頭に在り、世界を代表する古典とも言える。司馬遷の眼を通した人間の営為は時代を超えたものがある。人生万般にも通じる壮大な歴史書である。平成1771 徳永圀典

平成17年8月

 1日 人の賢不肖は譬えば鼠のごとく、自ら処るところにあるのみ。

賢人と言われるようになるのか、逆の評価を受けるのか、結局、自分がどこに身をおくかによつて決まってしまう。

 2日

久しく卑賤の位、困苦の地におり、世を非―そしりーて利を悪−にくーみ、自ら無為に託すは、これ士の情にあらざるなり。

長い間、卑賤の身、困窮の状態にありながら、なすすべもなく利を憎み、世間を嘆いているのは男子の本懐ではない。自分への叱咤激励である。
 3日

尊卑序あらば上下和す。

上下、長幼のけじめをきちんとつけてこそ、人間関係がうまくゆく。相手の人格の敬意が基本。
 4日

君よく日に飲し、何をもするなかれ。

時と場合によつては、これくらいの構えが人間には必要である。
 5日

親をもって解となさず、存亡をもって辞となさず。

親より早く死んでは親不孝になるという口実を使うとか、居留守を使うとか、そんなことは絶対にしない。いつでも何事でも絶対に断らぬ男、これこそが大変な信用である。
 6日

それ諸侯にして人に驕ればその国を失い、大夫にして人に驕ればその家を失う。

貧乏人は失うものは何もない。
 7日

一死一生、すなわち交情を知る。

友情が本物かどうか、一人が死に一人が生き残ってみると分かる。生き残った人間が、死んだ友人の家族に対して従来どおり接せられるかどうかで本当の友情が分かる。
 8日

狐裘―こきゅうーは弊−やぶーれたりと雖も補うに黄狗−こうくーの皮をもつてすべからず。

狐裘は狐の皮でできた立派なもの。狗は犬の皮で安物。君子が欠けたあとを小人が補うことはできない。応答で人物の器量が分かる。
 9日

信よく死せば、われを刺せ。死すること能わずば、わが袴下―こかーより出でよ。

おい、韓信。命がかけられるなら、その剣でおれを刺してみろ。それが出来ないのなら、俺の袴の下を潜れ。我慢と怨みを恩にした男の器の話。
10日

兵には固―もとーより声を先にして実を後にする者あり。

戦争や外交では、先ず相手を脅すような示威を示し、後で実質的な攻撃をする。可能なら戦わずに勝つ。これが最高、示威だけで降伏しているのが日本人か。
11日

―こーを破りて円となし、彫をけずりて朴となす。

法律の煩雑な部分や酷刑を切り捨てることを「觚―こーを破りて円となす」という。老子も言う、法律が行き届くほど犯罪は増えるばかりだと。
12日

―いにしえーの君子は、交わり絶ゆるも悪声を出さず。忠臣は国を去るも、その名を潔くせず。

交際が途絶えた相手のことを悪く言ったりしない。忠臣は国を離れることがあっても、自分の名の為に国君を悪く言わない。反対のことが実に多い、これは私の座有銘でもある。
13日

相如―しようじょー、その壁−へきーを持ち柱を睨み、もって柱を撃たんと欲す。

秦王は約束を守る気配がない、相如は「その壁にはキズがある、教えましようと、壁を取り、そしてその態度はなんだ、殺すなら殺せ、その前に壁もろとも頭を柱にぶつけて死んでやると啖呵をきった。相手が相手なら、こっちも、外交には必要な至言。
14日

鄙賎の人、将軍の寛−ひろーくすることのここに至るを知らざるなり。

刎頚の交わりの相如と廉頗との故事より。
15日

将門には必ず将あり、相門には必ず相あり。

将軍の家から将軍が出、宰相の家からは宰相が出るものだ。ダービーの馬はダービーからしか出ない。
16日

客の下座に居る者、よく鶏鳴をなすものあり。而して鶏ことごとく鳴く。

人は誰でも役に立つときがあるもの、どんな人でも粗末にしてはならないものの故事。
17日

容れられざらんはなんぞ病―うれーえん。容れられずして然る後に君子を見る。

世間に容れられないのは少しも悪いことではない。世間に容れられないで初めて我々の君子たる所以が証明されたと解釈すべきです。出世したから立派な人間というのではない。己を売り地位を得てなんになるか。
18日

累々として喪家の狗のごとし。

飼い主を失った犬みたいに、噂ほどでない、貧相な男ではないかと言ったその県の人間を皆殺しにされた。孟嘗君の故事である。
19日 壮士死せずんば已まん、死せば大名を挙げんのみ。

逃げるか、反乱を起こすか、どっちかだ。どっちにしろ死ぬしかないのなら、大きい方を選ぼうではないか。

20日

客、愚無知にして、もっぱら妄言して、威を軽くす。

あの男の田舎者ぶりには困ったものだ。あることないこと言いふらして、王の威厳を傷つけている。昔の野良仕事の仲間だが、権威を傷つけて斬首される。サラリーマンにもこんなのがいる
21日

先んずれば人を制し、後るれば人に制せらる。

先んずれば・・と言ったほうが裏をかかれ、してやられた故事。
22日

これ児女子の知るところにあらざるなり。

呂公という男、一役人の劉邦に一目ぼれし「私には娘あり、貰って欲しい」、女房「宝のように育てて知事が求婚したのに断ったじゃないか、それをあんな男にやるとは」呂公「女子供の知ったことか」。父親が強引に嫁がせたのが後の「呂后」、残虐と専制の皇后であった。
23日

豎子―じゅしー、ともに謀るに足らず。

ドジな奴とは一緒にやれない。
24日

富貴にして故郷に帰らざるは、繍―しゆうーを衣て夜行くがごとし。

「故郷に錦を飾る」の出典。
25日

―人は言う、楚人は沐猴―もくこうーにして冠するのみ、と。果たして然り。

沐猴は猿、猿が冠をかぶつたようなもの、文化程度が低いという侮辱であり言った男は釜茹でにされた。
26日

家貧しければ良妻を思い国乱るれば良相を思う。

貧しい時にいちばん必要なのは良妻であり、国が乱れている時に一番必要なのは名相である。
27日

卑しきは尊きを謀らず、疎きは威−たーしきを謀らず。

下の者は上にいる者の事をとやかく言うな、他人は人の内輪の口出しするな。余計な口出しは慎みたい。
28日

われむしろ智を闘わさん、力を闘わすこと能わず。

項羽と劉邦が対峙して膠着状態の時、項羽が劉邦に向かって放った言葉。項羽はいつもかつとなる。
29日

虎を養いて自ら患−うれーいを遺すなり。

力ある敵を生かしておくなの故事。
30日

富は上たり、貴は之に次ぐ。

人生の選択、富か地位かとなったら富だというが・・・・?
31日 民はもった成を楽しむべし。ともに始めを慮るべし。 人民にはその成果を享受さえすればよい。事前に説明して内容の理解は不要、孫の代になればこのありがたさが分かるだろう。