史記
中国正史の筆頭に在り、世界を代表する古典とも言える。司馬遷の眼を通した人間の営為は時代を超えたものがある。人生万般にも通じる壮大な歴史書である。平成17年7月1 徳永圀典
1日 | 扱われた時代は前二世紀末頃、漢の武帝の時代までと言われる。史記らしい生彩を放つのは伝説の時代から確かな記録のある時代に入ってからである。 | 中国正史の定型となり「本紀」「世家」「列伝」「書」「表」に分かれている。中国の名相、周恩来は中国を理解するには司馬遷の史記だと答えた。 |
2日 | 中国社会の五段階、王朝を記したのが「本記」。天子の下で封土を持つのが諸侯で「世家」である。将軍、大夫、思想家等の名をなした人が「列伝」。 |
「表」とは本紀・世家・列伝を分かりやすくしたのが表である。礼学、天文、自然科学等が「書」である。合計130巻、52万6500字を使用しているという。 |
3日 | 司馬遷は膨大に資料を使用した、これは父が漢王室の太史令―史官の長―であったからだ。 | 司馬遷は前145年夏陽に生まれた。前108年、父と同じ官に就任し膨大な記録に眼を通せた。 |
4日 |
司馬遷は宮刑―睾丸摘出―の刑を受けている。李陵事件で敗軍の将を弁護した為に死刑を宣告された。贖罪金を払う金もなく、苦痛の宮刑を選んだ。 |
父との約束の「史記」完成の為に宮刑を選んだといわれる。 |
5日 |
宮刑の苦痛に耐えた人特有の眼になった、開き直った人間の眼があると言われる。 |
諸氏百家がダニのような眼で見ていた下層にも公平で暖かい眼を向けたといわれる。 |
6日 |
古代・現代を問わず人間社会の凡てのパターンが史記にはあると言われる。 |
とてもこのホームページでは語りつくせぬことを初めにお断りしておく。 |
7日 |
法は天子の、天下とともに公共にする所なり。 |
公共が最初に使用された文。司法長官の長釈之の言葉、漢の文帝に毅然としてたしなめた言葉である。 |
8日 |
髪を被−こうむーり佯−いつーわり狂して奴−どーとなる。 |
精神異常をきたしたフリをするのも一つの手の意。暴君のもとでは、国ほ捨てる、死ぬ気で諫言、精神異常のフリをする、佯狂―ようきょうーの故事。 |
9日 |
吾聞く、聖人の心には七竅―ななきょうーありと。信−まことーに諸−これーあるか。 |
君臣の関係は義で結ばれたもの、臣下は三度諫言が限度と国を離れた。逃げるが勝ちであった故事。 |
10日 |
その夫、相の御−ぎょーとなり、大蓋を擁し駟馬−しばーにむちうち、意気揚々として甚だ自得せり。 |
御者の妻が夫を見ると、さも偉そうに意気揚々としていた。宰相は謙虚な方だのに貴方は尊大に見えて暮らすのを嫌った。政治家、大臣、トップの妻に教えてやりたい。 |
11日 |
易を読むには韋編−いへんー三たび絶つ。 |
読書に熱中することを「韋編三絶」という。孔子は晩年になり色々勉強し韋編三絶だという。 |
12日 |
よく徙−うつーす者には五十金を与えん。 |
先ず信用させてかかれ。「移木の信」と呼ばれる、疑い深い人民を信用させた故事である。 |
13日 |
願わくばわが族家妻妾を虜掠―りょうりゃくーすることなく、安堵せしめよ。 |
安堵の語源である。強敵には奇策かず最高という故事。 |
14日 |
千金の子は坐するに堂に垂せず。 |
徒に身を危険にさらすなの故事。大金持ちの子は堂の外側には座らないの意。 |
15日 |
民はもって成を楽しむべし。ともに始めを慮るべからず。 |
人民にはその成果を享受させればよい。孫の代にでもなれば、この有り難さが分かるだろう。この自信と決断力、西門豹の話は中国の教科書に掲載されていると言う。 |
16日 |
富貴なる者は人を送るに財をもってし、仁人−じんじんーは人を送るに言をもってす。 |
老子の言葉、孔子への批判は忌憚無く厳しいものがあった。 |
17日 |
博弁広大なれどもその身を危うくする者は、人の悪を発−あばーく者なり。 |
孔子は鋭い批判で人の悪をあばいた。頭が切れて口が禍いする人は多い。自己主張を抑制せよと老子は言い、じっと身を伏せて慎重に出る事が肝要。 |
18日 |
君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり。 |
夫々が分を守れば組織は安泰ということか。 |
19日 |
われ老いたり。用いることあたわず。 |
断り方も色々ある、これは考えた断り方である。 |
20日 |
文事ある者は必ず武備あり、武事ある者は文備あり。 |
治にいて乱忘れるなということか。 |
21日 |
君子は過あれば,謝するに質をもってし、小人は過あれば謝するに文をもってす。 |
小人は過ちを犯したら口先でごまかそうとしますが、君子は誠意をもって謝罪します。 現今の中国は小人で大人ではない。 |
22日 |
その貴きをもって人に下るを楽しむ、といわずや。 |
上の地位にいて大いに腕をふるい、下の意見にも十分に耳をかす、これも悪くないではないか。 |
23日 |
われいまだ徳を好むこと色を好むがごとき者を見ざるなり。 |
徳は色にはかなわないということであろうか。 |
24日 |
殷の道は親を親とし、周の道は尊を尊す。 |
継承者の決め方である。きちんと継承の仕方を決めておかないと禍が絶えない。 |
25日 |
貧富の道、これを奪予するなくして、巧者は余りあり、拙者は足らず。 |
貧富の差はどうして生まれるのか。あくまで自分次第だということ。 |
26日 |
淵深くして魚これに生じ、山深くして獣これに往き、人富みて仁義これに附く。 |
人間も十分経済的にゆとりができてこそ、仁義、つまり徳が自然と備わる。逆に言えば、貧乏になった時は、礼儀などかなぐり捨てていいのだ。 |
27日 |
貴きは出すこと糞土のごとく、賎−やすーきは取ること珠玉のこどし。 |
相場が高い時は、その品なんか糞土の如く思って惜しみなく売れ、相場が安い時は、その品物を珠玉のように有り難く思いドンドン買いまくれ、これは財テクのコツである。 |
28日 |
わが生産を治むるは、なお伊尹・呂尚の謀、孫呉の兵を用い、商鞅の法を行なうことがごときなり。 |
兎に角、人が売りに出ているときは買いにまわり、人が買いにかかっている時は売りにまわる。金儲けには兵法が必要の故事は古代から発達している中国。 |
29日 |
それ繊嗇−せんしょくー筋力は、生を治むるの道なり。而れども富める者は必ず奇をもって勝つ。 |
これも貨殖列伝である。貨を殖やす。本当に財をなそうと思ったら、人と違った方法で競争に勝たねばならない。 |
30日 |
俛−ふーせば拾うあれ、仰げば取るあれ。 |
転んでもただでは起きないのである。上を向いたら何かをもぎれ、それくらい抜け目無く神経を使い無駄なことをしない。 |
31日 |
富は経業なく、すなわち貨は常主なし。 |
金持ちになるには、どの職業に限るということはない。同様に金そのものも持ち主が決まっているわけではない。金は有能なものに集まり、無能なものから離れて行く。 |