神仏の現前的実在   徳永圀典

西行さんも見た

一の滝あらば二の滝あり。一の滝とは熊野は那智大滝のこと、その上流に二の滝あり。那智山源流部最高峰・烏帽子山の原生林渓谷を探索しつつ下って行く。鬱蒼たる渓谷は昼なお暗く、巨石・奇岩・大古木は苔が繁茂し不気味。眼下の谷に樹林を通して滝が垣間見え三の滝と確認、青く美しい! やがて、ここより神域と墨書の立札、那智大滝の直上に近い。苔むした石を一つ一つ古木に掴まりながら谷に下りる、河原に降りて、ふと上流を見る、あっ! 私は戦慄を覚え思わずひれ伏した。森厳にして峻厳な雰囲気の中、まるで仏様を思わすお姿の御滝である。滝壺は広く、(あお)き水を深沈(しんちん)と静かに(たた)えている。荘厳、厳粛、打ちのめされたような思い!かって、このよう衝撃を受けた滝を見たことはなく、思わずひれ伏し合掌した。霊威を受けたのか自ずと厳粛となり身が引き締まる。

後で知ったが、西行さんも「・二の滝のもとへまいりつきたる。如意輪(にょいりん)の滝となん申すと聞きて拝みければ、まことに少しうち(かたぶ)きたるふうに流れ下りて尊く覚えけり」と申している

中ほどにふくらみがあり、柔和さの上に威厳と気品ある風格を備えて神秘そのもの。悠久の昔から静寂(しじま)の中にひそと(しず)まる。

私はいかなる経典や言語よりも宗教的悟得(ごとく)が得られるのは大自然の神秘であり、そこに神仏の現前的実在覚えるからだと思う。那智の滝を見てアマテラスを見た!と叫んだのはフランス人作家アンドレー・マルローである。

大杉谷にはご不在

追憶を続ける、台風の惨害で登山道が消滅した日本の秘境大杉谷、滝と(ぐら)と呼ぶ絶壁が連なり原始的景観を擁している。大杉谷は明るい豪快な渓で直線的に流れ両岸の山壁は(すこぶ)る急峻、この谷へ落ち込む支の多くは吊懸(つりけん)(こく)これは青壮年期の谷の特徴高山の雄深さ示す。渓を覆う原生林の美しさ、幽邃(ゆうすい)を極めた針活混淆喬木林の遡行、この明るい山や谷に神様はおわしまさぬと見た。だが苔むした水成岩の屏風岩が両岸にそそり立ち、その上流には滝が幽かに見られて幽玄、幽邃の風流が心にしみた。水は魅惑的な琥珀(こはく)色。我々は敬愛する森川禮次郎先輩の指導下、その琥珀水を汲みコッヘルで沸かし、谷の風、樹林の(さえず)り、せせらぎなどの奏でるシンフォニーを聞きながらカプチーノコーヒーを楽しんだ。

熊野・大峰

紀伊半島は植生の実に豊かな地域で生命力溢れる森林を形成している。この大自然崇拝の中から熊野三山信仰が始ったのであろう、根源は自然を畏敬する感情にほかならない。北上川、熊野川、あの大らかに流れる美しい清流は敬虔な心を(はぐく)む。

山岳登山は実に厳しい。肉体と精神を厳しく律しなくてはならぬし持続力が必要。「山岳修験道」は大自然のもつ霊力を得る為、深山幽谷で苦しい修行を重ねて験力(けんりく)を得るという。それは日本歴史の中で山岳宗教が生み出した一つの到達点であり日本人の精神原点である。鬼気の迫る悽愴(せいそう)な気持ちに襲われるこれら深山の山々には、測り知れない深さの渓谷、そそり立つ岩壁、陰湿な森林、熊や毒虫、人為的にはその昔から堆積された伝説など様々なものから(かも)し出される独特の雰囲気が確かに存在する。そこに神秘の霊力を肌で感じ、神仏の現前的実在を覚えるのは至極当然感情なのである。

山岳信仰のそれが神であろうが仏であろうが、混淆であろうが私は少しも構わない。峻険な山岳で出会う心霊は神も仏も区別の必要はない。悠久の昔から深山、幽谷の静寂(しじま)にひそと(しず)まる巨岩、大古木、自然現象など圧倒される神秘、これらは人間を超越した存在であり宗教そのものなのであ。大自然の威容は人種とか信仰を超えた存在であり、そこから人間の持つ様々な感性を通じて諸々の宗教が発生するのであろう

神様は古杉(こさん)をお好み

東北は出羽三山の月山神社に初めて登った時、森厳なる境内に霧が立ち込めそのかき動くさまに恐れ(おのの)き神霊に触れたと思った。神道の髄を見ませりみ(やしろ)に霧たちたるは神立ちませる」と神の現前的実在感は脳裏に深く刻み込まれたままだ。神様は古杉(こさん)をお好み召さる。

清貧(せいひん)と山岳

登山は山岳宗教と同根、肉体と精神力を厳しく鍛錬し、質朴を希求する。そこには現代人に欠ける「浪費を敢えて拒否する」という日本人の理想であった「清貧の思想」に通ずるものがある。かかる意味において、登山の肉体鍛錬は現代的価値がある。

己の心と身体しか頼る存在のない奥深き山岳にあって、人間の五感を研ぎ澄まし、全身で感じ、思索し、生存適応力を磨く山岳登山。そこには自ずから心身の自然融合力が付加され、生命力、哲学、精神力を培う。

静謐なる深山(しんざん)の諸々の神秘に畏敬を抱く私は大自然の懐にあって、神々に同化と化生(かせい)っているのかも知れない。   完