正法眼蔵A―しょうぼうげんぞう
日本仏教の生んだ最高の聖典と言われ、偉大なる貢献を日本文化に与えた。私は、壮年時代から少しづつ挑んだが、歯が立たない、分からないままこの世を終えるのであろうか。多くの関連書物を求めては挫折してきた。それでも、依然として分かりたいと願う聖典である。中村宗一禅文化学院長の全訳を、自らの勉強の為に日々挑戦する。満74才のこの月からの偉大なる挑戦である。果たして、完結できるかは大いに疑問。
平成17年4月1日 徳永圀典
正法眼蔵第二
平成17年5月
1日 |
摩訶般若波羅密 |
観自在菩薩の行深般若波羅密多時は、渾身―うんしんーの照見五蘊皆空なり。五蘊は色受想行識―しきじゅうさうぎょうしきーなり、五枚の般若なり。照見これ般若なり。 |
真理を般若(智慧)によって理解され体験する観世音菩薩は、一切の存在についてその真相を観じ、捉えることを自由に行うことができる。その時は観世音菩薩とその行は「空」という体験において一体のものである。これが全身である。 |
2日 |
一切が空の体験のほか何ものもない。観世音菩薩が一切の存在を観察する時、一切は皆「空」の相である。一切の存在は物と心の二つの体性の和合集積である五蘊に外ならな |
い。五蘊は色(物質)と作用と受想行識の心理作用であり、その中の物の要素として地(樫)・水(流湿)・火(熱)・風(天動)の四大の体性によって集積調和したものである。 | |
3日 |
この宗旨―そうしーの開演現成するにいはく、色是色なり、空即空なり。百草―はくさうーなり、万象―ばんぞうーなり。般若波羅密十二枚、これ十二入―にふーなり。 |
人間について言えば物の肉体は四大の体性によって集積調和体であり心の体性は受(感覚)・想(思想)・行(行動)・識(意識)等の集合調和体なのである。 |
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4日 | これらの五蘊を、智慧によって観察する時、必ず空に帰するのである。この事実から五蘊は空のものとしての五蘊であるから、五蘊の各々は解 | 脱的にものであり、その一々が般若(仏智慧)である。この般若の道理を説法される時には、「色即是空」であり「空即是色」であると説かれるのである。 | |
5日 |
色即是空とは森羅万象のありのままが般若であるとの体験である。この時の森羅万象は真理自体の現成とし |
ての存在である。また逆にいえば空即是色といい得るのである。 | |
6日 |
仏智慧が働いて一切を空と観ずるとき十二の空観を体験する。十二の空観の体験は主観の体性である眼・耳・鼻・舌・身 |
・意の六識と、その対象となる客観的現象である色・声・香・味・触・法の十二を指す。 | |
7日 |
また十八枚の般若あり、眼耳鼻舌身意―げんにびぜっしんいー、色声香味触法、および眼耳鼻舌身意識等なり。また四枚の般若あり、苦集滅道−くじふめつどうーなり。 |
十八の空観は更に客観的対象を意識する眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識等を加えたものが、主観客観一枚の現成であり体験であって、一切が皆空としられるのである。 |
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8日 |
また四つの真理、苦・集・滅・道を明らめる仏智がある。苦は迷界の果報である人生苦の原因、滅は人生苦 |
を滅却した果、道は滅に到る仏道の因である。 | |
9日 | また六枚の般若あり、布施・浄戒・安忍・精進・静慮・般若なり。 |
菩薩の道は六つあるという。それは六波羅密といわれるものである。@布施A持戒B安忍C精進D禅定E般若、の六つである。 |
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10日 | 布施は世俗を捨て出家参学する智慧、浄戒は菩薩戒を護り続ける智慧、安忍は凡てに忍耐する智慧、精進は努力の智慧、禅定は身心を調制し安静ならしめる智慧である。 |
般若の智慧は、これら五つの智慧が総合統一された智慧である。五つの智慧の働きが統合せられて一大智慧の働きとなるのである。 |
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11日 | また一枚の般若波羅密、而今−しきんー現成せり。阿耨多羅三藐三菩提−あのくたらさんみゃくさんぼだいーなり。 | また一つの般若波羅密がある。現に仏智といわれるもの、悟りといわれるものである。無上正等覚、約して言えば真理の正しい悟り、超経験的な智慧の境地である。 | |
12日 |
また般若波羅密三枚あり、過去・現在・未来なり。 |
また時間の上に三つの般若がある。即ち過去、現在、未来の三時の般若である。 | |
13日 |
また般若六枚あり、地・水・火・風・空・識なり。 |
また物と心に、六つの般若がある。即ち地、水、火、風、空、の五つと識の一つである。 |
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14日 |
またた四枚の般若、よのつねにおこなはる、行・住・坐・臥なり。 |
また四つの般若がある。即ち、日常生活の行、住、坐、臥に於てである。これらのあらゆることごとの一々、日常生活のすべてが智慧に現れ、真理自体の体験なのである。 |
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15日 |
而今の一びつ蒭―びつゆうーの竊作念−せつさねんーは、諸法を敬礼―きょうらいーするところに、雖無消滅―すいむしやうめつーの般若、これ敬礼なり。この正当敬礼時―しゃうとうきゃうらいじー、ちなみに施設可得の般若現成せり。いはゆる戒定慧乃至度有情類等なり。これを無といふ。無の施設,かくのごとく可得なり。これ甚深微妙難測の般若波羅密なり。 |
小乗の修行には修行の結果に四つの階位がある。第一位は凡夫の身を脱して、初めて聖者の仲間に入る預流果,次ぎは迷いの情がわずかに残っている聖者の一來果、次ぎは真理の道理のわからぬ思惑及び他の一切の迷情を断じ、欲界に還らない不還果、 |
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16日 | 次ぎは小乗の聖者の最後の階級である声聞四果の迷妄を断じて、生死の | 世界に生れない、即ち不生、無生という境界の聖者の阿羅漢果などがあり、 | |
17日 |
また声聞乗や独覚乗、菩薩乗等の聖者、又は仏の悟りとして現成し、又仏法僧の三宝として現成し、 | 更に釈尊の最上の説法として現成し、衆生救済の仏の行として現ずることができるのであると。 | |
18日 | この僧が密かに空について考えたことを釈尊が知り,それが空のうりかた、働きであるとうなずかれた。まことに仏の智慧とは深く常識では測 | り難いものである。ひそかに僧の考えたことは諸法を敬礼することによって生滅を超越した仏智を敬礼することになるのである。 | |
19日 |
この敬礼と同時に五分法身や、四果、独覚、菩薩、転法輪など衆生救済の仏智が現れるのである。 |
生滅がないという「無」は、無の妙有的展開であるから絶対の無というのである。無の働きをこのように説くことはまことに言葉では言い尽くせない仏の智慧であるからである。 |
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20日 |
天帝釈問具寿善現言「大徳、若菩薩摩訶薩、欲学甚深般若波羅密多当如何学」善現答言「僑戸迦、若菩薩摩訶薩、欲学甚深般若波羅密多、当如虚空学」 |
帝釈天が具寿善現に向かって「大徳にお伺いします。もし菩薩が真理を学ばんとする時、どうしたら学ぶことができますか」と問うと、善現は答えて「僑戸迦(帝釈天が人間の時の名)よ、菩薩般若(智慧)を学ぶことは、ものごとの一切は即ち「空」であることを学ぶことである。 |
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21日 |
しかあれば、学般若これ虚空なり。虚空は学般若なり。 |
このような道理が「学般若」というのである。 |
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22日 |
天帝釈複白仏言「世尊、若善男子善女人等、於此所説甚深般若波羅密多、受持読誦、如理思惟、為他演説、我当云何而守護、唯願世尊、垂哀示教」 |
帝釈天は再び世尊に質問した。「世尊、仏道の帰依者の男女の人々が、この説かれている甚深なる般若波羅密多(智慧の体験)を受け、読誦して、その道理のように思想し、他のために演説せられる場合において私らはいかにして、その智慧を正しく守護すべきですか、どうか、このことをお教え賜りたく、敢えて私のために世尊の憐れみを乞い奉ります」と願ったのである。 |
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23日 |
璽時具寿善現、謂天帝釈言「僑戸迦、汝見有法可守護」天帝釈言「不也。大徳、我不見有法是可守護」善現言「僑戸迦、若善男子善女人等、作如是説、甚深般若波羅密多、即為守護。 |
その時、須菩提は世尊に代って、「僑戸迦よ、この般若真空の理は、それを守護できるものがあるかどうか考えてみるがよい」と答えた。帝釈天は「大徳、私はそれを守護する何ものも発見できません」と、これは空なる法は、守るもの、守られるもの、見るもの見られるものの対立の二見ではない、両者は有に非ず、空に非ざる智慧そのものである。 |
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24日 | ただ一心に身を以って受持し、口を以って表わし、意を以って思惟して尊重するの外なすのである。須菩提が答えて「僑戸迦よ、もし善男、善女が、ものごとの差別感を超越し対立の心を脱するなら、甚深の智慧は |
たえずあなたの身辺を離れず、一切を智慧の理によって正しく見、正しく思惟するその所に智慧と一切が即ち主観と客観が一線上のものとなる。一体不二の関係の上におかれるからである。 |
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25日 |
若善男子善女人等、作如所説甚深般若波羅密多、常不遠離。当知、一切人非人等、伺求其便、欲為損害、終不能得。僑戸迦、若欲守護作、如所説。甚深般若波羅密多、諸菩薩者無異為欲守護、虚空」 |
ここで正しく知ることは、智慧は一切のものごとを究め尽くしているから、一たび主客一体となった以上、一切の人、非人がその方法を求めて損害を与えようとしても、不可能である。 |
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26日 |
何となれば、その方法を求めることも損害も、一切が智慧なのであるから僑戸迦よ、もし守護しようと思うなら、智慧虚空のように学び、ものごとの差別、対立の観念を脱しなければならない。 |
智慧の体験と諸の菩薩なる者と空を守護せんとするに異ならない。大乗の菩薩は能く般若の空理に住してものごとの差別感に囚われないから、空を守護の立場を厳守しているのである」と。 |
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27日 |
しるべし、受持読誦、如何思惟、すなはち守護般若なり。欲守護は、受持読誦なり。 |
ここで正しく知ることは、智慧は一切のものごとを究め尽くしているから、一たび主客一体となった以上、一切の人、非人がその方法を求めて損害を与えようとしても、不可能である。 |
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28日 |
何となれば、その方法を求めることも損害も、一切が智慧なのであるから、僑戸迦よ、もし守護しようと思うなら、智慧虚空のように学び、ものごとの差別、対立の観念を脱しなければならない。 |
智慧の体験と、諸の菩薩なる者と空を守護せんとするに異ならない。大乗の菩薩は能く般若の空理に住してものごとの差別感に囚われないから空を守護の立場を厳守しているのである」と。 |
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29日 |
先師古伝云、渾身似口掛虚空不問東西南北風、一等為他談般若滴丁東了滴丁東。 |
ここで知らねばならぬことは、智慧の体験、即ち身を以って受持し、口を以って読誦し、心を以って思想することである。全自己の身心を以って体験実現することである。このこと即ち全自己の身心が智慧の体験として実現した時、そのことが般若、智慧を守護することなのである。 |
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30日 |
これ仏祖嫡嫡の談般若なり。渾身般若なり、渾他般若なり、渾東西南北般若なり。 |
今は亡きわが師が言われている。「全身口で虚空にかかり、東西南北の風に任せて等しく人のために般若を説く、ちんちろりん、ちんちろりん」と。釈尊が言われている。 |
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31日 |
この鈴の響きは仏々祖々正伝の般若の説法そのものである。 |
般若全身の響である。東西南北の境界を超えて全宇宙に常説法しているのである。 |