正法眼蔵@―しょうぼうげんぞう
日本仏教の生んだ最高の聖典と言われ、偉大なる貢献を日本文化に与えた。私は、壮年時代から少しづつ挑んだが、歯が立たない、分からないままこの世を終えるのであろうか。多くの関連書物を求めては挫折してきた。それでも、依然として分かりたいと願う聖典である。中村宗一禅文化学院長の全訳を、自らの勉強の為に日々挑戦する。満74才のこの月からの偉大なる挑戦である。果たして、完結できるかは大いに疑問。
平成16年4月1日徳永圀典
1日 |
序めに |
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曹洞宗の開祖道元禅師が、鎌倉中期、中国から帰朝後四半世紀に亘り、風雪を凌ぎつつ執筆した全九十余巻の大著述である。 |
和漢古今の難解の書」と評価がある。日本の知識階級の「心の糧」、日本の精神文化の偉大なる所産といわれる。 |
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2日 |
道元禅師一流の哲学的表現と中国語を自由奔放に駆使し、古来、難解の書として著名である。 |
中村宗一氏のこの正法眼蔵は意訳と言われる。私の所感は何一つ無い。 |
現成公案 げんじょうこうあん | ||
3日 |
諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり修行あり、生―しょうーあり死あり、諸仏あり衆生あり。 |
すべてのものごとを仏道の立場である「正しくものを見る道」の上から見るとき、その一々は真にそのものごと自らのありのままを現成しているから、迷い、悟り、修行、生、死、諸仏と衆生をありのままに見、明らめるのである。 |
4日 |
万法ともにわれらあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。 |
総てのものごとを無我の立場、仏道で見るとき、迷いもなく悟りもなく、諸仏もなく衆生もなく、生もなく死もない。 |
5日 |
仏道はもとより豊倹より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。しかもかくのこ゜とくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。 |
もともと仏道は有るという立場にも、無いという立場をも超越し捉われないものであるから、生死を解脱したところに生死があり、迷悟を解脱したところに迷悟があり、解脱のあるなしを問題としないところに解脱があるのである。しかしなお、そのことがわかっていながら、人は華の散るのは華を惜しむから散ると見る、咲かしておきたいと思う頃に散るとなげき、草の生えるのは草を嫌うからと見る。仏道はものごとを自己の体験として掴むところに現成する。 |
6日 |
自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。 |
体験として証せられる時、それが悟りである。 |
7日 |
諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず。しかあれども証仏なり。仏を証しもてゆく。身心を挙して色−しきーを見取し、身心を挙して声―しょうーを聴取するに、したしく会取―ういしゅーすれども、かがみに影をやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず。一方を証するときは一方はくらし。 |
迷いを迷いと悟るのが諸仏であり、悟りに執するのは真に悟っていない人である。悟りの上に悟る人があり、迷いの上に迷う人もいる。悟った人が本当に悟った人であるならば、自分の悟っていることすら、自覚しない。しかし、その人は、本当に悟った仏であり、悟りからも迷いからも自由な、解脱の人もあり、また迷いの中に迷いこむ人もある。身心を一体として、ものこどを見聞きするならば、見るもの聞くものを直接に知ることができるが、その有様は鏡に影が映えるようでも、水に月が映えるようでもない。主観と客観は一体であるから、その一方だけを知ろうとするならば、あとの一方は消えてしまう。 |
8日 | 仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落―とつらくーせしむるなり・悟迹―ごしゃくーの休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。 | 仏道を学ぶということは、自己を学ぶことである。自己を学ぶということは、自己を忘れることである。自己を忘れるということは、無我になることである。無我になると、体験の世界と一つになって他と対立しない解脱の自己を会得することができる。このことは、自分の身心、他人の身心をも脱落することである。悟りのあとかたさえ残さないのである。そのことをいつまでも行い現わして行くのである。 |
9日 |
人はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際を離却せり。法すでにおのれに正伝するとき、すみやかに本分人なり。 |
人が始めて仏道(真理)を求めるとき、それを自己のそとに求めるから、遥かにそこから離れてしまっている。仏道がもともと自分のうちにあることを正しく理解され、体験されれば、すぐさま「仏の人」となる。 |
10日 |
人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸を見れば、きしのうつるとあやまる、目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を乱想して万法を瓣肯―はんけんーするには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李―あんりーをしたしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。 |
人が舟に乗って岸を見れば、岸が動いていると思い、目を下に向けて舟を見れば舟の進んでいることを知る。そのように自己の身心を動揺させて、ものごとの真実を知ろうとすれば、自分の心や本質が永久不変であると思い誤る。もし自分の行いを正しくして、それによって事実を直視するならば、どのようなものごとも永久不変でないことがわかるはずである。 |
11日 |
たき木はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取りすべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。 |
薪は燃えて灰となり、それが再び薪に戻ることはない。しかしそれをいちがいに、薪は始にあるものであり、灰はそれに続くものであると考えてはならない。薪は薪になりきっていて、始から終わりまで薪である。見かけの上では前後があるが、それは、つながりのない前後であって、薪はどこまでも薪である。灰も灰になりきっていて、始から終わりまで灰である。 |
12日 |
かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり、このゆえに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり、このゆえに不滅といふ。 |
ちょうど、薪が灰となった後に、再び薪となることがないように、人が死んでから、再び戻ることはない。このように、生といえば生になりきっていて、生が死に移り変わるといわないのが、仏道において定められた教えである。従ってその道理は、死と生との前後際断であるから、生とは何物から生まれたものでないから「不生」というのである。死といえば死になりきっていて、死が生に移り変わるといわないのが、仏道において定められた教えである。従ってそれを、何物かが死ぬということでないから不滅というのである。 |
13日 |
生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとへば冬と春とのこどし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。 |
生といえば一瞬一瞬において生になりきっており、死といえば一瞬一瞬において死になりきっている。それはたとえば冬と春のようなものである。人は、冬そのものが春に変わるとは思わず、春そのものが夏になるとはいわない。 |
14日 | 人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず、ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴−いちていーの水にもやどる。 |
人が悟りを得るのは、ちょうど水に月が宿るようなものである。月は濡れず、水は傷つかない。月も月として、水も水としてそのままである。広く大きな光ではあるが、寸尺の水にも宿る。月も空も全体が草の露にも宿り一滴の水にも宿る。 |
15日 |
さとりの人をやぶらざること、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりをけい礙−けいげーせざること、滴露の天月をけい礙せざるがごとし。ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を検点し、天月の広狭を辧取−はんしゅーすべし。 |
悟りが人を傷つけないのは、月が水をつらぬかないようなものである。人が悟りを妨げないのは、一滴の露が天の月を妨げないようなものである。一滴の水の深さは、天の月の高さを宿している。月影が宿る時の長短にかかわらず、それが大水にも小水にも宿ることを学び、天の月の大きさを知るべきである。 |
16日 |
身心に法いまだ参飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。 |
身心に仏道が本当に体験されていない時には、却ってそれが十分であると思う。もしそれが本当に体験されているならば、どこか一方が足りないと思う。 |
17日 |
たとへば船にのりて、山なき海中にいでて四方をみるに、ただまろにのみみゆ、さらにことなる相みゆることなし。しかあれど、この大海、まろなるにあらず、方なるにあらず、のこれる海徳、つくすべからざるなり。宮殿―ぐうでんーのごとし、瓔珞のごとし。ただわがまなこのおよぶところ、しばらくまろにみゆるのみなり。 |
たとえば、船に乗って海に出て四方を眺めるとき、海は円く見えるばかりで、その外の形は見えない。しかし、海は円いものでもなく四角いものでもなく、そのほかに様々の姿かたちがある。海は魚が見れば宮殿であり、天人が見れば宝玉づくめの玉飾りである。それがわれわれの目に円く見えるに過ぎないのである。 |
18日 |
かれがごとく、万法もまたしかあり。塵中格外、おほく様子を帯せりといへども、参学眼力―さんがくげんりきーのおよぶばかりを、見取会取するなり。 |
総てのものごとがそうである。常識の立場にも、仏道の立場にも様々の立場があるが、人はただ、自分の能力の範囲でしか、それを知ることができない。 |
19日 |
万法の家風をきかんには方円とみゆるよりほかに、のこりの海徳山徳おほくきはまりなく、よもの世界あることをしるべし。かたはらのみかくのごとくあるにあらず、直下も一滴もしかあるとしるべし。 |
ものごとの真実を知るためには、海山が円いとか四角いとか見えるほかに、自分の周りがそうであるばかりでなく、自分自身のうちにも、無限の世界があることを知るべきである。 |
20日 |
うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらとぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。只用大のときは使大なり、要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭頭―てうてうーに辺際をつくさずといふことなく、処処に踏翻せずといふことなしといへども、鳥もしそらをいづれば、たちまちに死す。 |
魚が水を行くとき水には限りがなく、鳥が空を飛ぶとき空に限りがない。しかし魚や鳥は昔から水や空を離れず、広く行く必要があれば広く行き、狭く行く必要があれば狭く行く。そのようにして、それぞれの道を尽しているとはいえ、鳥が空を離れればたちまち死に、魚が水を離れればたちまち死ぬ。 |
21日 |
以水為命しりぬべし。以空為命しりぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり。以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。このほかさらに進歩―しんふーあるべし。 |
魚が水を命とし、鳥が空を命としていることを、人は知っている。その上は鳥の無いところには空は無く、魚の無いところに海は無いこを知りなさい。命は鳥において実現し、魚において実現するのである。このことを体験すべきである。 |
22日 |
修証あり、その寿者命者―じゅしゃみやうしゃーあることかくのごとし。しかあるを、水はきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにも、みちをうべからず、ところをうべからず。 |
修行のうちに悟りがあり、それによって長短を越えた命が実現されるということは、このようなことである。それをもし、水を究め尽くしてから後に、水や空を行こうとする鳥魚があるなら、水にも空にも、行くべき道を得ることができず、安住すべき処を得ることができない。 |
23日 |
このところをうれば、この行李―あんりーにしたがひて現成公案―げんじょうこうあんーす。このみちをうれば、この行李にしたがひて現成公案なり。 |
今の自分のいるところに気がつけば、おのずから修行ができて、真理が実現するのである。今の自分の行くべき道に気がつけば、おのずから修行ができて、真理が実現するのである。 |
24日 |
このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆえに、かくのごとくあるなり。 |
なぜならば、真理を実現するための道や処は、大きなものでも小さなものでもなく、自分のものでも他人のものでもなく、いつどこにおいても実現されるものだからである。 |
25日 |
いかあるがごとく、人もし仏道を修証するに、得一法通一法なり、遇一行修一行なり。これにところあり、みち通達せるによりて、しらるるきはのしるかからざるは、このしることの、仏法の究尽―ぐうじんーと同生し同参するゆえにしかあるなり。 |
以上の譬えのように、仏道の修行をして悟りを得るということは、一つのことにあへばそのことを究め、一つの行いをなせばその行いを貫くことである。そこに仏道を実現する境地があり、仏道を実現する道がありながら、なかなか、そのことを悟ることができない。なぜならば、そのことを悟ることそのものが、仏道の究極を知ることにほかなにないからである。 |
26日 | 得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。証究すみやかに現成すといへども、密有かならずしも現成にはあらず、見成―げんじょうーこれ何必―かひちーなり。 | 悟ったことが、必ず知識となって論理的に理解されるとは限らない。悟りの究極は修行によつてすぐさま体験されるものであるが、それが自分によって気づかれるとは限らない。なぜならば、それが表面的理解を超えていることだからである。 |
27日 |
麻谷山宝徹禅師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ」師いはく、「なんぢただ風性常住を知れりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず」と。僧いはく、「いかならんかこれ無処不周知の道理」ときに師、あふぎをつかふのみなり。僧礼拝す。 |
麻谷山の宝徹禅師が、あるとく扇をつかっていた、そこへある僧が来て問うた。「風の本質は変わらず、どこにも行きわたらないところはないのに、どうしてあなたは扇を使っておられるのですか」「お前は風の本質が変わらないことは知っているが、それがゆきわたらないところはないという言葉の本当の意味を知らないようだ」「それならば、それはどういうことですか」師はだまって扇をつかうばかりであった。僧は深く感じて礼拝した。 |
28日 |
仏法の証験、正伝の活路、それかくのこどし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。 |
真理を知るということも仏道の体験、正しく伝えられた仏道を生かすということは、このようなことである。「風の本質は変わらないから扇を使わなくてもよい。扇を使わなくて風を感じることができる」というのは、風の本質を知らず、その本質が変わらないということも知らないもののいうことである。 |
29日 |
風性は常住なるがゆえに、仏家の風は大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。 |
風の本質が変わらないからこそ、仏道を体験するものの風が、大地の黄金であることを実現し、長河の水を酪乳に成熟させたのである。 |
30日 |
これは、天福元年中秋のころ、かきて鎮西の俗弟子楊光秀にあたふ。建長壬子拾勒 |
これは天福元年。1233年、八月頃に書いて、九州の俗弟子楊光秀にあたえたものである。建長元年壬子、七十五巻本に収録。 |