正法眼蔵8.
平成17年11月

 1日

予、雲遊のそのかみ、大宋国にいたる。嘉定16年癸未秋のころ、はじめて阿育王山広利禅寺にいたる。西廊の壁間に、西天東地三十三祖の変相を画せるをみる。

私が道を求めて修行していた頃、大宋国へ行きた。嘉定16年、1223年秋に、はじめて阿育王山広利禅寺を訪ねた。その時、寺の西側の廊下の壁に、インド及び、中国の三十三人の祖師の肖像を描いたものを見た。

 2日

このとき領覧なし。のちに宝慶元年乙西夏安居のなかにかさねていたるに、西蜀の成桂知客と廊下を行歩するついでに、予、知客にとふ、

のちに、宝慶元年1235年に夏安居(げあんご)していた。西蜀出身の知客(しか)和尚(賓客の接待役) 成桂と廊下を歩いている時、祖師らの肖像図について彼に尋ねた。
 3日

這箇是(しやこ)什麼(ししも)変相(へんそう)」、知客いはく、「龍樹身現円月相」かく道取する顔色に鼻孔なし声裏(しやうり)に語句なし。

「これはなんの肖像画ですか。知客(しか)和尚は答えた。「これは龍樹のからだを現わす円月の相だ」と答えた。この像をよく見ていると、その顔の表情は、仏道を体得している表現がなく、その声が説法の声とは思わなかった。
 4日

予いはく、「真箇是(しんこし)一枚(いちまい)画餅(むひん)相似(そうじ)」ときに知客大笑すといへども、笑裏無刀、()画餅(むひん)不得(ふて)なり。

そこで、私は知客(しか)和尚に再び尋ねた。「ほんとうにこれは絵に描いた一枚の餅のようですね」。その時、和尚は声をあげて笑った。けれども、真実を悟ったのではなく、画餅底の龍樹の肖像の真相を看破るなどの理解がなかつた。
 5日

すなはち知客と予と、舎利殿および六殊勝地等にいたるあひだ、数番挙揚(こよう)すれども、疑著するにもおよばず。

そこで和尚らと私とは、阿育王寺内の舎利殿や六ヶ所の景勝の地などをめぐる間、この問題について数々の話を交わしたが、私が何故に龍樹の肖像を問題にしているかということにすら、相手は問題にしていなかった。
 6日

おのづから下語(あぎょ)する僧侶も、おほく都不是(とふぜ)なり。予いはく、「堂頭にとふてみん」

また私にと一緒にいた他の僧たちも、自分からそれについて何ら意見を述べるものもなく、みな成桂の轍で一言も言わなかった。寺に戻ってから私は成桂に「あの龍樹の肖像について住職さまに尋ねてみましょう」と話しかけてみた。
 7日

ときにと堂頭は大光和尚なり。知客いはく、「()無鼻孔(むびくう)(たい)不得(ふて)如何(しゆを)得知(てち)

その時の住職は大光和尚であった。知客和尚は「あの肖像のことは何にも知っておられないのですから、説明できないでしょう」
 8日

ゆへに光老にとはず。恁麼道取すれども、桂兄(けいひん)も会すべからず、聞説(もんぜつ)する皮袋(ひたい)も道取せるなし。

そんなわけで私は、大光和尚に、そのことについては一切問わなかった。私がこのように言ったことについても、先輩の僧たちも会得しなかった。この問を聞いた者たちも答えることができなかった。
 9日

前後の粥飯頭(しゆくはんぢう)、みるにあやしまず、あらためなほさず。

その前後の住職たちも、日々行事に廊下を往来してそれを見てもあやしまず、明らめることもなく、又関心も持たないでおざなりに過ごしていた。
10日

又、画することうべからざらん法は、すべて画せざるべし、画すべくは端直に画すべし。

龍樹の仏性は画がくことはできないであろう。元来、仏の現身の円月を描くことはその相を超越して、仏体の本質、仏性を描くべきであることを究めるべきである。
11日

しかあるに、身現の円月相なる、かって画せるなきなり。

ところが、龍樹の肖像が円月の相をもっていることを、いまだかって描いたものはない。
12日

おほよそ仏性は、いまの慮知念覚ならんと見解(けんげ)することさめざるによりて、有仏性の道にも、無仏性の道にも、無仏性の道にも、通達の端を失せるがごとくなり。

およそ仏性は現在の凡ての上で差別、対立の心、我を中心としての一切の心であろうとの考えから覚めることができないから、仏性があるという言葉を聞いても、仏性が無いという言葉を聞いても、その理解のための入口さえ見失っているのである。
13日

道取すべきと学習するもまれなり。しるべし、この疎怠は廃せるによりてなり。

これについて、言うべきことを学ぶ者も稀である。このような仏道修行者の怠慢は、仏道が衰えてしまつたことによっているということを知るべしである。
14日

諸方の粥飯頭、すべて仏性といふ道得を、一生いはずしてやみぬるもあるなり。

諸山の住職たちはみな、仏性という言葉を一生口にしないで過ごす者もいる。
15日

あるいはいふ、聴教のともがら仏性を談ず、参禅の雲衲はいふべからず。

或いは、仏典を学ぶ者たちは、仏性について論じているが、参禅する僧たちはそれについて論じてはならないという。
16日

かくのごとくのやからは、真箇是(しんこし)畜生(ちくさん)なり。

このように言う者たちは、まことに人間よりも劣った者たちである。
17日

なにといふ魔儻の、わが仏如来の道にまじはりけがさんとするぞ。

何という悪魔らが、わが仏教の中に混じって、それをけがそうとしているのであろうか。
18日

聴教といふことの仏道にあるか。いまだ聴教・参禅といふこと、仏道にはなしとしるべし。

仏の教えのみ聞くという特別のことが仏道にあるのであろうか。いまだかって、教えのみ聞くということと、単に参禅をするということを別にした仏道はない、ということを知りなさい。
19日

杭州塩官県斉安国師は、馬祖下の尊宿なり。ちなみに衆にしめしていはく、一切衆生有仏性。

杭州塩官県斉の斉安国師は、馬祖の流れをくむ師である。ある時、僧たちに説いて言った。「一切の衆生には仏性がある」
20日

いはゆる一切衆生の言、すみやかに参究すべし。一切衆生、その業道(ごふだう)依正(えしやう)ひとつにあらず。

ここにいう一切の衆生についての言葉を、すみやかに学び究めるべきである。一切衆生のあり方は、生活はその人々の行いの積み重ねで、環境においても自己においても同一でない。
21日

その(けん)、まちまちなり。凡夫・外道・三乗・五乗等、おのおのなるべし。

それがために衆生の各々のその考えはまちまちである。一般の者たちや異教徒たち、小乗の者たちはみなそれぞれ異なっている。
22日

いま仏道にいふ一切衆生は、有心者(うしんしゃ)みな衆生なり、心是(しんぜ)衆生(しゆじやう)なるがゆへに。

いまここに仏道において言う一切衆生とは、心を持つ者はみな衆生であるということである。心そのものが衆生であるからである。心は体験ということである。
23日

無心者おなじく衆生なるべし、衆生是心なるがゆへに。

心を持たない者も同じく衆生である。なぜならば、ここにいう衆生の心とは有る無しを超えているからである。
24日

しかあれば、心みなこれ有仏性なり。草木国土これ心なり。

従って、有る無しをこえた心がみな衆生である。そして衆生がみな有仏性である。草木国土も心である。
25日

心なるがゆへに衆生なり。衆生なるがゆへに有仏性なり。

心であるから衆生である。衆生であるから有仏性である。
26日

日月星辰これ心なり。心なるがゆへに衆生なり。

ここで斉安国師の説いている有仏性とは、このようなことである。
27日

衆生なるがゆへに有仏性なり。国師の道取する有仏性、それかくのごとし。

もしこのようなことでなければ仏道において説かれる有仏性ではない。
28日

もしかくのごとくあらずは、仏道に道取する有仏性にあらざるなり。

いまここで斉安国師の説いている教えの意味は、一切衆生は仏性をもつているということである。
29日

いま国師の道取する宗旨は、一切衆生有仏性のみなり。

従って、衆生でない者は、仏性を持たないということであろう。
30日

さらに衆生にあらざらんは,有仏性にあらざるべし。しばらく国師にとふべし、一切諸仏有仏性也無。

そこで、国師に「一切の諸仏には仏性がありますか、ありませんか」と、問うべきである。