昭和5年・6年・7年頃生まれの人たち
正確を欠くきらいがあるがご容赦願う。
先ず、佐々淳行氏、岡崎久彦氏、渡部昇一氏、田久保忠衛氏、屋山太郎氏、石原慎太郎氏、谷沢永一氏、女性では、曽野綾子氏、等が直ぐ浮かぶ。
多分昭和一桁の生年と思う。かく申す私こと、徳永圀典も昭和6年生。私は昭和19年旧制鳥取一中一年生の時、陸軍幼年学校の受験の経験がある。陸軍中将の質問も受け、素っ裸で身体検査も受けた。そして、昭和20年に、大阪か、広島かどちらの幼年学校に行こうかと思案していた。
この年代は、戦争の体験は無いが、国家、国民たるものは、どおあるべきかを肌で感じている。80歳近いお方が、私の憂国放論を読んで、その通りだ、然し自分は戦争に行きているので、本当の事を言えないと、後ろめたさを言われたことがある。日本人らしい、奥ゆかしさ、ご遠慮と良心がそうさせているのであろう。
上述に列挙したお方はほんの一部であるが、現今日本の国家としての在り様を見ていると歯がゆくてしかたがないのだ。戦前の世界の一等国、日本国民として育った我々には、本当に現在の日本は、屈辱そのものである。戦後の敗戦国民として育った人は属国的三等国民の性が身についてしまって、一等国民としての矜持がない。矜持は経済のおカネだけになってしまったのであろう。徒に、奢るのではなく、連綿たる2000年の文化国家の歴史は世界に誇りうるものなのに歴史教育が無いから分からないのだと思う。一流の国民、一流の人物には真のサムライ精神が心底に潜む。このままでは、我々の世代がこの世を去ると、明治的精神遺産は消滅してしまうと憂うのだ。
平成15年1月16日 徳永圀典