再び、孫子 その2

国際社会は人間社会と同様に闘争の場である。日本は外交も戦略もどうしてかくも弱いのか。国境が無く島国の農耕民族でありムラ民族だからと言われる。戦術・戦略の研究は最重要問題と思われる。古代中国で生まれた「孫子」に再び挑む。平成17 年8月1日徳永圀典

平成17年11月

 1日

彼を知り己を知れば、百戦(あや)うからず。

問題を全面的に見ること、一面的でないことである。これは科学的真理と言える。個を知って全体を知らぬ、欠点を知り成果を知らない。順調に面を知り困難な面を知らない。過去は知ってるけど未来を知らない。これでは問題解決にならないのである。主観的、一面的、表面的な見方をしないことである。
 2日

よく兵を用うる者は、役は再びは籍せず。糧は三たびは載せず。用を国に取り、糧を敵に因る。

戦上手は、再三に亘り徴兵や兵糧輸送をくりかえすことはしない。しかも軍需品は自国から運ぶが、食糧はなるべく敵地で調達する。

 3日

智将は努めて敵に()む。

智将はできるだけ敵から奪った物資で自軍を賄う。徹底した省力である。
 4日

敵を殺すものは()なり。敵の利を取るものは貨なり。

兵士が敵を殺せるのは怒りの感情があるからであり、戦利品を奪うのは物に対する欲望があるからだ。戦友が撃たれると猛烈に戦意が沸くという。怒りが恐怖を上回る。心と物、車の両輪である。
 5日

敵に勝ちて強を益す。

当然だが中々難しい。うつかりすると敵に勝って逆に弱くなる。勝ちの後の驕慢、油断で失敗するものである。
 6日

兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。

戦争は勝つのが目的、いつまでも戦うものではない。これはあらゆる喧嘩に共通している。
 7日

用兵の法は、国に全うするを上となし、国を破るはこれに次ぐ。

武力を使わずに勝つのが上策ということである。
 8日

百戦百勝は、善の善なるものにあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するが、善の善なるものなり。

孫子の最も有名な言葉。孫子の兵法の真髄である。人間関係から国家間、あらゆる問題に適応できる。
 9日

上兵は謀を伐ち、その次ぎは交を伐ち、その次は兵を伐ち、その()は城を攻む。

最上の戦い方は、攻略により、敵を屈服させること。これに次ぐのが、敵の同盟関係を断ち切り孤立させること。そして、次ぎが戦火を交えること。敵の城を攻めるのなどは下の下である。中国人は喧嘩好きだが、殴り合いは軽蔑されるという。舌戦、それも第三者に向かい相手の悪いことを訴える。外交も、町の喧嘩も見物人に訴える。そして相手を孤立させる。
10日

善く兵を用うる者は、人の兵を屈するも、戦うにあらざるなり。

本当の戦上手は、武力など使用しないで敵軍を屈服させる。この後に更に続くのは、「人の城を抜くに、攻むるにあらず。人の国を毀るに、久しきにあらず。必ず全きをもって天下に争う。ゆえに兵(つか)れずして利全かるべし。武力を使わない「謀攻の法」である。
11日

用兵の法は、十なればこれを囲み、五なればこれを攻め、倍なればこれを分かつ。

兵力は多寡に応じそれなりの使い方がある。
12日

敵すればよくこれと戦い、少なければよくこれを逃れ、若かざればよくこれを避く。

対抗できるなら戦ってよいが、もし敵より弱かったら、さつさと逃げるがよい。かなわない相手だったらぶつからないようにすることだ。
13日

小敵の堅は大敵の(とりこ)なり。

弱いくせに強がっていると、優勢な相手にやられてしまう。堅は、頑固、融通性のなさ、かたくな、と悪い意味の場合の解釈。堅を堅固、精強、引き締まったと取ると、いかに強くても、所詮は小魚は大魚には敵わないとなる。
14日

将は国の輔なり。輔、周なれば国必ず強く、輔、(げき)あれば国必ず弱し。

君主と補佐役の将軍がぴったりしていれば国は強く、両者にわだかまりがあれば、国は弱くなる。相互の人間性と配慮の如何が「隙」を産むし埋めもする。
15日

君の軍に患となる所以のもの三つあり。

君主が軍に災難を齎すものとして三つあるとして、1、進むべきでないのに君主が実情も知らないで進撃命令、退却命令したりする。2.全軍の内部事情も知らずに軍事行政に干渉する。3.全軍の指揮系統を無視して軍令を出す。
16日

勝を知るに五あり。

勝利のための五つのポイント。1.戦うべきか否や。判断力の問題、2、兵力に応じた効率的な戦い方。3.全員の意思を同方向に向ける目標を設定しているか。4.事前に万全の対応策を練っているか。不確定への対応である。5.将の能にして、君の御せざる者は勝つ。
17日

上下の欲を同じうする者は勝つ。

欲を同じくする。心でなく欲望である。
18日

将の能にして、君の(ぎょ)せざる者は勝つ。

有能な将を任命したら、信頼し細かく干渉しない。日露戦争の満州軍総司令官大山厳は智将、児玉源太郎を参謀長に任用すると作戦はすべて一任した。大山厳は緻密な人物、大綱は握っていた。
19日

よく戦う者はまず勝つべからざるをなし、もって敵の勝つべきを待つ。

戦いの上手な人は、まず不敗の態勢を整えた上で、必勝のチャンスがくるのを待つ。徳川家康が好事例。
20日

勝は知るべくして、為すべからず。

勝つときは、こちらが勝つ(為す)のではなく、敵が負けるのである。なすのでなく、そうなるように仕向けることである。地位も人生もそうかもしれない。

21日

勝つべからざるは守るなり。勝つべきは攻むるなり。

勝てるだけの条件が無ければ守りを固めるがよい。そして勝てる条件があれば攻撃すること。
22日

よく守る者は九地の下に蔵れ、よく攻むる者は九天の上に動く。

戦上手は、守りに回った時は、地底の奥深くひっそりと身を潜めるように自分の姿を相手から隠し通し、攻めとなると、天高く飛びまわるように主導権を握り、相手の動きを見極めて飛び掛る。
23日

勝ちを見ること衆人の知るところに過ぎざるは、善の善なるものにあらざるなり。

誰の目から見ても分かりきったような勝ち方は、本当に優れた勝利とは言えない。海のものともやまのものとも分からない時に予見するのが成功の秘訣。
24日

戦い勝ちて、天下、善なりというは、善の善なるものにあらざるなり。

世間から誉めそやされるような勝ち方は、本当の優れた勝利ではない。喝采は失敗の危険を内臓している。老子は「善く行く者は轍跡なし」自然な歩き方をすれば跡は残らないという。
25日

よく戦う者は勝ちやいきに勝つなり。

無理のない勝ち方をするのが戦上手である。
26日

よく戦う者の勝つや、智名もなく、勇功もなし。

戦上手は目立つような勝ち方をしないから、知恵者だとか勇者だとか誉められない。着実な者は目立たない。
27日

よく戦う者は、不敗の地に立ちて、敵の敗を失わざるなり。

わが身は安全な場所に置き、敵が隙をみせたらすかさず攻撃するのが戦上手。自力は温存し敵を消滅させる。
28日

勝兵はまが勝ちて後に戦いを求め、敗兵はまが戦いて後に勝ちを求む。

戦い初めてから勝とうとするようでは負け。十分な勝利態勢を整えてから開戦する者は勝つ。
29日

よく兵を用いる者は、道を修めて法を保つ。

孫子の道には道徳的な意味はない。優れたリーダーは
1.明確な目標を掲げ、組織を整える。
2.目標とそれの実現する方法をきちんとする。3.原則をゆるがせにしないで規律をキチンと守る。
30日

最初に中国の兵法ほ伝えたのは百済であった。七世紀、八世紀初頭の日本書紀に孫子が引用されている。

門外不出の秘本とされ、武田信玄、林羅山、山鹿素行、荻徂徠、新井白石、吉田松陰等が優れた研究をしている。