戦後GHQは、三井.三菱.住友.安田の四財閥解体で、

 先ず、三井から崩し、三井が崩れれば、

 他の財閥は簡単に落ちると考えた。 

 三井側も色々、改革案で抵抗、

 GHQ側は「財閥解体は既定方針」として受け入れなかった。 

 三菱も大抵抗。 

 住友に対し

「住友は本国にいるときから、信用もしていたし、尊敬もしていた。 

 住友がまっ先に解体を決意すれば、その事実は世界に打電され、

 日本民主化の実を認め、それは名誉ある玉砕ではないか」と。 

 緊急理事会が開かれ、住友250年の歴史を思い、理事たちは男泣き、

 列席者も同じ思いだった。 

 こうして住友は、安田、三井に続き自主的解体の決意をしたという。