諏訪大社ー下社 長野県諏訪下諏訪
やはり、信濃国の一宮だけはある。祭神は大国主命の御子神という。ご鎮座の年代は1500年から2000年前と言われる。「お諏訪さま」と言われ、風雨と水の守り神であり、歴代朝廷、武門、武将は、勝負の神として崇拝され、日本第一大軍神と称えられてきた。風格と歴史の由緒ある建物も重要文化財である。

諏訪大社・下社

信濃の国一の宮(元官弊大社)全国一万余の諏訪神社の総本社、上社と下社を合わせて一社。
主祭神  建御名方命(たてみなかたのみこと)八坂刀売命(やさかとめのみこと)

諏訪大社は、信濃国諏訪の地に鎮座のこと「古事記」に明らかで、我が国最古の神社の一であり、古来諏訪大明神・諏訪南宮大明神・諏訪南宮正一位法性大明神などと称したが、延喜の制に早くも名神大社として祈年の班幣に預かった。信濃国一之宮として広く天下の崇敬を集め、御神徳を奉じ分社・分霊を祀ること全国津々浦々に及びその数五千有余を数える。祭神建御方命(南方刀美命・御名方富命・建御名方富命とも書く)は、大国主命の第二子で、兄事代主命と共に大国主命を助けて、国土経営の大任に当たられた。天孫降臨に際し天神の勅を奉じて国土を奉り、科野国州羽(しなののくにすわ)に退き、妃神八坂刀売神並びに御子神と共にこの地の農耕・機織をすすめられた。奉祭は末裔の神氏(諏訪氏」)による。昔は狩猟の神・農業の神として神格を併有した、が、神功皇后三韓征伐に神威を顕現、文永弘安の役に外敵を退けられた。由来国家鎮護の守護神として。歴代武門・武将の崇敬篤く、鎌倉幕府は社領を寄進し、武田信玄は社殿を造営・祭祀を復興し、江戸幕府はまた社領1500石を奉献し、神徳を仰いだ。大正五年官幣大社に列せられた。現在は神社本庁別表神社。