玉置神社 和歌山県十津川町

 玉置神社は、3000年杉の巨樹群に覆われ、霊峰 玉置山の標高1,076mの所にあります。紀元前37世紀祟神天皇がお立てになった。『日本書紀』で天地が誕生したときに全部で八柱の神が生まれたと示している。
国常立尊主神が1番はじめに現れたとされている。
日本で祀られている神社は、玉置神社とそして岐阜の位山、木曽の御嶽山(里宮)、伊勢外宮など極めて重要なところに祀られている。
日本最古の神社が玉置神社にあたります。そして八柱の神の1神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)神も玉置神社に祀られています。そして・伊弉諾尊神と夫婦神になられた伊弉册尊(いざなみのみこと)神もおいでになる。伊弉諾尊・伊弉册尊の二柱神が今の日本の国をお創りになった。霊峰玉置山は、世界遺産に認定され、玉置神社の台所・社務所は国宝(重要文化財)になっており由緒ある神社。

紀元前の創建以来、脈々と受け継がれてきた玉置神社は、紀伊半島の中央部、大峰山系の南端の神体山・玉置山に鎮座。悪魔退散という全国的にみても特殊なご神徳があり、古くは皇族の悪魔祓いが行われた。
それ故、「玉置の神さまは怖い神さまだから、純粋な気持ちで参拝を」といわれます。現在も玉置山を登ってきたにもかかわらず参拝がかなわず、途中で引き返し、数回目にして初めて参拝できたという方も多くいる。

玉置神社は杉の巨樹群に抱かれ、霊峰 玉置山の九合目、標高1,000mに鎮座。

玉置神社は近年まで陸の孤島と呼ばれていた大峰山系の南端、奈良県吉野郡十津川村の霊峰 玉置山(標高1076.4m)の山頂直下に鎮座。
この地は古来より,熊野の地であって、神武天皇が熊野に上陸した後、八咫烏に先導され大和に入る際、この霊峰玉置山で兵を休め神宝を鎮めて勝利を祈ったと言い伝えられており,熊野信仰の奥之宮として皇族の行幸や宗教指導者、修験者、霊能者が数多く参籠修行した重要な神体山でもある。神武天皇東遷以前から磐座信仰の地として崇められていたと思われ、日本最古の神社説もある。

紀元前、崇神天皇によって王城火防鎮護悪魔退散のため早玉神を祀り、以来玉置と名づけられました。7世紀後半、役小角(役の行者)が修行、大峰山を開いて修験道の地として栄え修験者の往来、修行が増え神体山・玉置山の名を高めた。
高野山を開いた空海も修行に
訪れたのではないかと言われる。858年には天台宗の三井寺(園城寺)を開いた智証大師が修法加持して本地仏を祭り、以後神仏混合が続き、玉置神社には最大で2〜300人前後の神官や僧侶が修行していた。
明治時代に入り廃仏稀釈が行われ十津川村の郷社となりました。創建以来江戸時代の元禄年間までの十数回の造営修復は全て国費で賄われた由緒ある古社、現在は神社本庁が包括する宗教法人玉置神社。