玉置神社 奈良県吉野郡十津川村玉置川一番地


交通の極めて悪く、人里を遠く離れているこの熊野の山並みのど真ん中、霊峰玉置山、標高1000米の境内には神代杉を初めとして樹齢3000年と言う、巨杉・老樹の杉が杜となっている。その森厳なる巨杉大樹林の懐に抱かれるように、荘厳なる玉置神社の社殿が鎮座まします。
神社の説明によると、紀元前37年、崇神天皇、王城火防鎮護と悪魔退散の為に、早玉神を奉祀され、以来、玉置と命名されたという。神武天皇東征の際、熊野上陸後、八咫烏ーやたがらすーに先導され、この宮で兵を休めたという。

玉置神社は紀伊半島の屋根と呼ばれる大峰山系の最南端、標高1,076メートル霊峰 玉置山の山頂直下、杉の巨樹群に抱かれて鎮座している。紀元前37年、第10代崇神天皇によって創建、平成15年秋に御鎮座2,050年祭を迎えた、風格と格式を有する由緒ある古社。御祭神は宇宙から大きなエネルギーとパワーで初めて大地を誕生させた神、日本書紀に最初に記されている「国常立尊」。

紀元前の創建以来、脈々と受け継がれてきた玉置神社は、紀伊半島の中央部、大峰山系の南端の神体山・玉置山に鎮座。悪魔退散という全国的にみても特殊なご神徳があり、古くは皇族の悪魔祓いが行われてきた。それ故、「玉置の神さまは怖い神さまだから、純粋な気持ちで参拝を」といわれる。玉置山を登ってきたにもかかわらず参拝がかなわず、途中で引き返し、数回目にして初めて参拝できたという方も多くいるらしい。
悠久のときを刻んできた玉置神社は、数多くの謎に包まれている。信仰の対象であった玉置山に玉置神社を創建したことは、古代の人々にとっては当然のことだったに違いない。現在、玉置神社の玉石社や三柱神社は摂社・末社となっているが、祭神から考えて、強力で個性ある独立した信仰の場だったのかも知れない。玉置神社の殆どの古文書が流出しているために詳しい経緯は解からないが、多くの疑問が湧いてくる神社。

紀伊半島の中央部、大峰山系の南端に位置する標高1076.4Mの霊峰 玉置山は、霊峰の名にふさわしく、海底が隆起するというドラマティックな造山活動で成立している。人類が地球上に現れ、その後、約36億年も経過してからということを考えると古代の人々は、隆起してくる玉置山を目にして、大自然の神秘を感じたに違いない。また、紀伊半島という比較的に温暖な地域にもかかわらず、その地形や気象条件など、その厳しさに驚かされる。