(いけ)木屋山(こやさん)登山の逡巡 

私には、この池木屋山登山に対する、実に重大な、逡巡があった。そう「躊躇い(ためら)」である。登山すべきか、見合わせるかである。私は、内心固く、関西百名山で、一つくらいの山は未登で残すのも味なものではないかと、公言していた。

実は、その心底の気持ちは、この池木屋山の渓谷に、落差50メートルの、台高山脈の名爆「高滝」の直上の絶壁をロープで乗り越えなくては絶対に登山できないからである。

ここは多くの方々が転落事故で死亡している。ツアーのリーダーも転落している。高滝の直上の垂直上、約30米を横断もしなくてはならぬ、だから恐いのであった。

親友の度重なる勧誘も、聞く耳を持たず、専ら登山しないことを墨守していたのである。 

元々、この関西百名山を志向したのは、平成9年、三輪山に登山した直後、先輩・森川礼次郎氏と友人・繁益幸雄氏の三人がチャーターメンバーとなり「月山会」と命名し、各月一回の登山で、完全踏破したら、奥州の出羽三山・月山に登山しようと企画したものである。森川氏の膝の問題もあり、その月山会もいつの間にか自然消滅していた。

私が、今回、遂に完全踏破を曲がりなりにも成功したのは。又今日まで登山のトライをし続けてきたのは、K親友のお蔭しかないのである。親友には、月山会の経緯を常に話していた。

登山学のプロフェッサーとも言えるK親友は、月山会の記録にある「鎧岳・冑岳」の踏破は、インチキであるとさえ見破られていた。 

私は、実は今年の7月の梅雨明けには、蔵王から鳥海山、そして、月山・湯殿山に登山を確定している。

そこに、厳格なK親友が、何はともあれ、池木屋山に登山すべきであり、冑岳も登らなくて、何ぞ月山登山かと、喝破されたのである。 

私には、一言も無かった、正論であり、グウノネも無いと言うのが本音の実感である。 

遂に、私は、池木屋山登山を決心した、重大な覚悟したのである。意地でもあった。

そしてホームページを沢山閲覧して、益々、これは関西百名山中、最高に難易度の高い、大変なものだと恐れ慄いていたのが実情であった。 

平成1966

              徳永圀典