安岡正篤先生 特別講話 その一
徳永記録より
天人相聞
天と人とを相対的に考えるのでない。これを一体として考えるのであります。
そして天が一つの形を取って自己を生んだもの、或は形成したものが人間である。
一切は天然である。人間が考えておるような理論や理屈によって存在しているものではなくて、自ずかにきたるものであります。
言い換えれば、自然と人間とを一貫した創造の理法、即ち真理に帰らんとどうにもならないのであります。
これを「天人相聞」とか
「天人合一」と言うのであります。
人間疎外、自己疎外の時代
凡そ、現代は、諸君も時々新聞や雑誌を見ても気づかれることと思いますが、いわゆる人間疎外、
自己疎外の時代です。
Alienate 、estrange、shelveと言うような流行語の訳がはやりだしたのですが、つまり人間をお留守にする、自分自身を棚上げすることです。
とかく、外へばかり心を馳せて、内を忘れてしまう。外物ばかり取り上げて、自分というものを省みない。人間をお留守にして、欲望の対象ばかり取り上げることです。
自己に立ち返る
その結果、わけのわからぬ事になってしまって始末がつかぬ。
こういう時、一たび失われた自己、人間そのものに立ち返れば、はっきりすることが多い。
日常の生活にしても、色々の刺激に駆り立てられているつ疲れる。それから、いろいろの矛盾やら悩みが限りなく生ずる。
続く