徳永圀典引退後33年の回顧

60才だから早くも33年だが文字通り早くもだ!

我輩はどう生きてきたか?

こらで回顧は無駄ではあるまい!

何故なら現在は至って健康そのもの痛いとこは皆無なのだからご参考になるのではないか?

当初は宝塚の雲雀ケ丘の自宅が拠点であった。

先ず東京によく行き各種ゼミナールに参加した。政治経済、そして犬養孝万葉集、拠点は大手前のパレスホテル。

二、

住友銀行仲間8人と登山会を組成し関西百名山踏破に挑戦した。

三、全国百名山に十歳若いベテランと挑戦開始した。

これは満82才、家内の看護をする迄続行した。

四 鳥取県の寡占新聞日本海新聞に各月1600字の寄稿を委嘱され驚く無かれ30年近くハードなものを寄稿し続けた。

五 そしてメインは私が創設した鳥取木鶏会の講義を

各月1時間を現在まで継続していることである。

鳥取県認定の生涯教養講座なっている。

六 自己出版を23冊行った。

鳥取県立鳥取図書館には郷土コーナーに何時の間にか

徳永圀典コーナーができていた。国会図書館やら

県内外の図書館には贈呈してある。徳永コーナーもある。

規則正しい日常生活をしている!

八、

本格登山を停止してから11年だが近県、県内外の小さな登山会には参加した。

現在でも日々、裏山の低山歩行はほぼ毎日行っている。

総括

命とは動くこと! 頭を使ってる!

規則正しい日常が背景にありそうだ!!

どうでしようか?  徳永圀典 数え 94