徳永の書き流し世界史 その35 ロシアの攻撃性検証 ロシアは不凍港が欲しく本能的に南下欲求だ。手法は破廉恥、 まずシナ1689年、ネルチンスク条約だが外興安嶺を国境とした。 英国にやられ阿片戦争の弱みで清国に黒竜江即ちアムール川以北を割譲 させたのが1858年アイグン条約。更に1860年 ウスリー川以東の広大な沿海州の譲渡を受けた。 東方支配を意味するウラジオストックに念願の不凍港を手に入れ 念願の日本海進出の夢を果たした。 こうしてロシアは日本の脅威化、1791年、ロシア使節ラックスが根室に来て 通商を求めた。 次にレザノフが1804年長崎で通商を求めたが幕府は交渉しなかった。 この頃からロシア軍艦は北海道に侵入し略奪暴行を働き密かに探検や測量し 事件を起こした。 民間人の林子平、最上徳内、近藤重蔵、伊能忠敬、間宮林蔵など憂国の志士が 多数現れ北海道の探検測量などをした。 ウラジオストクを得たロシアは満州朝鮮を狙った。 清国は仕掛けられた英国に阿片戦争だ破れ香港を失った、そこで朝鮮を属国化 せんとし日本と対抗することとなり日清戦争半年で日本が勝利 明治28年下関条約で、朝鮮自主権を認め 日本に台湾、遼東半島、澎湖島を割譲し賠償二億両、沙市、重慶、蘇州 抗州を開市、開港した。 日本にとり大歓迎は遼東半島の割譲であった。 ここからロシアと日本の悶着が始まった。 続く