徳永の書き流し世界史 その34 ロシヤ人はスラブ民族、スラブ人は元々奴隷の民、大ロシア建設の先頭を 進んだのがウクライナの逃亡農奴であるコサックの騎馬部隊だ。 このコサック隊はベーリング海を越えアラスカを占領し1812年には サンフランシスコ迄到達している。1867年アラスカを二束三文でアメリカに 売り撤退した。 奴隷の言葉がなせ付いたのか。スラブはslavは奴隷SLAEと同じだ。 何故か?ヨーロッパでは古代バイキングの頃から戦争や拉致で 人身売買、 奴隷売買が普通であった。 中でもスラブ人のロシア人は身体も大きく力持ち、良く働き苦難に耐えるので 高価、この事からスラブ族則ち奴隷となった。 この根強い農奴制の上のロマノフ王朝の皇帝専制政治だった。 長く、この一般国民を奴隷として支配した専制政治から生まれた言葉 スラブ民族である。 余談だが、この余りにもの専制政治から共産主義革命が起きたと思われる。